恐怖のバクテリア〜バクテリア王国へようこそ〜

御厨鈴音(みくりやれおん)が勝手に作り上げた恐れるにたらぬ王国。小説とも呼べない駄文ばかりですので、読むときっと後悔します。そんなの嫌だ、という方と18歳未満の方、BLという二文字に嫌悪を感じる方は今すぐお逃げ下さい。
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御厨 鈴音

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Je te veux 〜after Arthur〜 act13

►2008/05/31 20:00 

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 仕事を終えてアパートに戻ったら、まずはシャワーで汗を流して身体を綺麗にしてからブラウンとメイファンの所に行く。最近ではブラウンも余計な事を言わなくなったし、小馬鹿にしたような目線をすることもなくなった。初日以来、真面目に働いているアーサーを一応は評価してくれているらしい。
 メイファンの部屋へ向かうと、いつものように美味しそうな匂いがアーサーを出迎えてくれる。呼び鈴を押すと、最近ではローランが顔を見せるようになった。
「お疲れ、ディック。今日はね、ミートローフなんだよ!」
 滅多にない御馳走にローランが声を弾ませている。子供は苦手なはずのアーサーも、ローランが嬉しそうにしているのを見るのは気分がいい。
「ディック、今日もお疲れ様」
「やぁ、メイファン。今日は何かの記念日かい?」
 ローランと共に室内に入ると、メイファンが笑顔で迎えてくれる。何だか夫婦のようだとアーサーも思うが、勘違いも甚だしいので口には出さない。メイファンの方にアーサーに対してそう言った意味の好意がないのは明らかで、だからこそアーサーは気兼ねなく食事を世話してもらっているのだ。
「あなたがお肉をたくさん買ってきてくれたおかげで、毎日肉料理を作らなくちゃならないでしょ?メニューを考えるのが大変なの」
 だから今日はミートローフなのだと嬉しそうにそう言うので、アーサーも悪い気はしない。肉料理などそう頻繁に食べることがなかったらしいローランは、そういう意味でもアーサーを歓迎している。
 アーサーが食卓につくと次々と料理が運ばれる。いつもよりテンションの高いメイファンに、やはり何かいいことがあったのだろうと推測できた。するとメイファンから「仕事が決まった」と報告があった。
「ウェイトレスの仕事なんだけど、ある程度時間の都合をつけてくれるっていうし、そんなに下品なお店ってわけでもないからすぐに決めてきたの」
 店によっては際どい衣装を身につけ、男性客に身体を触らせる低俗な店もあるらしいが、そういった類の店ではないというのでアーサーは安心した。
「そうか、よかったな。じゃあ、ローランはどこかに預けるのか?」
「そうね…、ブラウンが面倒みてくれるって言ってくれてるけど、そこまで迷惑かけられないし。いい保育所見つけたらそこに預けようと思ってるの」
 九月からはジュニアスクールに通うことになるローランに不憫な思いをさせたくはないという親心が伝わってくる。片親など今時めずらしくはないが、経済的な苦しさを子供にまで味わせたくないというのはアーサーにも理解できる心情だった。
「私に協力できることがあれば何でも言ってくれ。出来る限り、力になりたい」
 今は何の権力も持たない一労働者のアーサーだが、それでもこの親子の為に何かしたいと心からそう思っていた。
「ありがとう、ディック。今でも十分助かってるわ。こうして話を聞いてもらえるだけで随分楽なのよ」
 少し申し訳なさそうに控え目に笑う顔はやはり、想い人のそれに重なる。自分がこんなにもメイファンに肩入れしてしまうのは、その所為もあるとアーサーは思う。
 時折思い出してはアーサーの胸をチクリと痛ませるその面影は、未だにアーサーの心から消える気配はない。忘れようと努める、その努力こそがレイを忘れられない証拠のような気がしてならない。恋をするべき対象がこうして目の前にいるにも関わらず、いまいち踏み切れないのは心を占める存在の大きさのためだった。
 メイファンの作る料理をありがたく頂きつつ、他愛無い会話を交わしていると、聞き覚えのあるメロディが耳に入り、音源に目を向ける。
 メイファンの年季のはいったラジカセから女性の歌声が聞こえてくる。その歌を聴いた覚えはないのに、どこかで聞いたことのあるメロディにアーサーは記憶を巡らせる。
 ラジカセを注視するアーサーに気づいたメイファンが、
「あなたもシャンソン好きなの?」
 と訊いてくる。
「いや、音楽自体あまり聴かない」
 ミュージシャンの恋人がいたにも関わらず、アーサーは全くそういったことに興味がなかった。レイが作った曲だといわれても、アーサーが興味を持っているのは本人のほうであって、音楽はそれに付随するものでしかなかった。そういう認識もあり、もとより芸術方面に関しては元々関心が薄いため、身を入れて音楽を聴くということをしたことがなかった。
「どこかで聴いたことがある曲だと思ったんだ」
「これは『あなたがほしい』っていうタイトルだと思ったけど」
「随分情熱的な曲名だな」
「そうね。でも確か、元はクラシックの曲だったはずよ。フランスの作曲家のピアノ曲なの。『Je te veux』っていう」
 そのメイファンの説明で思い出した。これはよくレイが弾いていた曲だった。同時に思い出した苦々しい記憶にアーサーは自然と眉間に力が入る。
『アーサー、今の曲ね、サティの…』
 そうだ、あの時レイが弾いていたのはこの曲だった。


〜To Be Continued…〜



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Stories 〜before Reiji〜 act13

►2008/05/30 20:00 

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 僕が10歳になったばかりの頃、父がヨーロッパから帰国した。
 フランスを中心に指揮者として活躍していた父がなぜ急に日本に戻ってくることになったのか、僕はその詳しい理由を知らない。とにかく僕にとってはそれが物心ついてから初めて父親と対面した瞬間だった。それまで僕にとっての父は、写真や映像でしか見たことのない雲の上の人のような存在だった。だから僕は一緒に暮らせることが純粋にうれしかったし、もちろん母も同じ気持ちだっただろう。父が帰国してこの家に一緒に住むことが決まってから、母はとてもご機嫌だったから。父に会えることも嬉しかったけど、母がまるで少女のようにはしゃいでいるのが何より嬉しかった。
 初めて間近で見た父は、媒体を介して見知っていた「荻久保柊」よりも更に気難しそうな人だった。その時父は40代の前半だったはずだけど、白髪の混じった頭髪が実年齢より上に見せていた。
 父は初めて見る自分の子供に大して興味もなさそうに「フン」と鼻を鳴らすと、取りつく島もないほど冷ややかな視線を向けた。今思えばそれは血を分けた自らの子供を見る目ではなく、まるで値踏みでもするかのように遠慮のない目だった。今でも僕の夢の中に現れる、僕の「恐怖」そのもの。象徴といってもいい。
 10歳の僕にもその得体の知れない漠然とした怖ろしさは感じ取ってはいたけれど、仮にも父親に対してそんな感情を持ってはいけないのだと幼いながらに思っていた。
 これから一緒に暮らしていくためには、仲良くしていかなければいけない。そうしなければ母が悲しむ…。
 その時の僕はそんな使命感に囚われて、父の隠し持つ薄暗い欲望になど気付かなかったのだった。


 ぎこちなく、手探りしながら始まった歪な僕ら家族の生活は、始めの頃は何事もなく静かに過ぎていった。父は部屋に引きこもり、食事の時すら顔を見せることはなかったけど、機嫌がいいと僕のレッスンを見てくれたりもした。
『お前、本当にリストが好きなのか?難しい曲ばかり練習しているな』
 エチュードばかり練習させられていたあの頃、すでにショパンやリストなどを習得していた僕は次にアルカンに挑戦しようとしていた時だった。母は僕に技巧的な曲ばかり練習させたけど、実を言えば僕はリストやアルカンがそんなに好きじゃなかった。父にはそれを見事に見抜かれてしまったようだった。
『こんなもんばっかり弾かせてあの女はお前を潰そうとしているのか。こんなことを続けていればお前はそう遠くないうちに腱鞘炎になるぞ』
 僕を心配するようにそう言ってくれた言葉は嬉しかったけど、「あの女」呼ばわりされた母が可哀想で僕は「でも、『マゼッパ』は好きです」とあまりフォローにもなっていないことを言った。『マゼッパ』はリストの超絶技巧練習曲の中で一番好きな曲で、僕の十八番だった曲だ。これをミスタッチなく弾くのが僕の日課になっていた。
 毎日聞こえていたはずだから父も知っていたのだろう。呆れたような顔で、『生意気なガキだ』と言った。『ガキはガキらしく好きな曲を弾いてりゃいいんだ』とも。
 そう言われて、僕は戸惑った。アメリカから月に一度来日して僕にレッスンをしてくれていたロックフロスト先生も僕のことを『君はとても可哀想な子供だね』と言っていた。言われた時はなぜ自分が可哀想なのか全く分からなかったけど、言葉は違っても同じことを言われた気がして困惑した。
 好きでもない曲を押し付けられて、それを嫌がることもせず甘受している僕が不憫に思えたのかもしれない。
 僕はまるで籠の中で生まれ、外の世界を知らない鳥のようだった。大空の広さを知らなければ自由に空を飛びたいとも思わないのと同じで、ピアノしか知らない僕は他にどんな楽しい遊びがあるのかも知らない。知らなければそれを欲することもない。小学校に通い始めて同級生達がグラウンドを元気に駆け回り色んな遊びに興じているのを知ったけれど、僕はそれらに混じろうとは思わなかった。『突き指するかもしれないから、スポーツは禁止』と母に言い含められ、学校にさえ球技はさせないで下さいとお願いしていたくらいだった。それにもしもあの頃の僕に「明日からピアノを弾かなくていい」と言ったら、間違いなく他に何をしていいか分からず途方に暮れていたに違いない。それくらい、ピアノは僕にとって生活の一部だったのだ。
 父に好きな曲を弾けばいいと言われ、「じゃあ、サティを弾いてもいいですか?」と言ったら笑われた。なぜ笑われたのか分からなかったけど、少し父と仲良くなれた気がした、そんな些細な会話だった。


〜To Be Continued…〜



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【追記】

本文中の作曲者名について。

ブログ主はピアノやクラシックをほとんど存じません。(好きだけどね(^^ゞ
なので、多分に嘘偽りが含まれておりますがそこは華麗にスルーの方向で(笑)。
アルカンはマイナーですが実在する作曲家です。
超絶難しそうなピアノ曲をたくさん残した人です。
多分、10歳児が弾ける曲ではありません…。
そこらへんもスルーしてくださいね(^_^;)



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Je te veux 〜after Arthur〜 act12

►2008/05/27 20:00 

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 NYに連れて来られてから一週間が経っていた。
 アーサーとしては不本意ではあるが、ここでの生活にも肉体労働にも少しづつ慣れてきていた。…本当に不本意ではあったけれども。
 週末にはメイファンの息子のローランとサッカーをした。サッカーといっても、ゴールネットがあるわけでもなく、グラウンドもなければ二人以外のメンバーがいるわけでもない。二人でただボールを蹴り合って、いわば野球でいうところのキャッチボールをしただけである。それでもローランは楽しそうにしていたし、メイファンにもとても感謝された。女性では遊び盛りの少年の遊び相手は難しいのだろう。「疲れているのにごめんなさいね」と言って、それでも出来る限り遊び相手をしてあげて欲しいと言われた。メイファンには世話になっている。最近では夕食ばかりか、昼食まで作ってもらっていた。それがローランにサッカーボールを買ってやった礼であっても、少しでも恩を返したかった。
 こう言ってはブラウンの言葉を肯定するようで癪だが、メイファンがいなければアーサーはとっくに身体に異変をきたしていただろうと思っている。食事をメイファンに頼らず、ハイカロリーなだけのアメリカンフードばかりを摂取していたら体調を崩していただろうことは目に見えている。ましてやそんな生活を一か月も送っていたら、ここに来る前よりも不健康になっていたかもしれない。
 ガーナー親子の目論み通りなのか、アルコールへの依存も初日以来すっかり影をひそめている。メイファンの紹興酒を飲んでしまった詫びに新しく買って返したのだが、それを口にしようなどと思わなかった。それよりもハードな翌日の仕事への影響が気になって、口にすることが躊躇われた。
 …そうしてアーサーは健全な生活を取り戻しつつあった。
 仕事の方も初日こそ、長い間怠けていた身体もプライドの高い精神もついていけなかったが、体力を取り戻した今では過酷な力仕事にも耐えうるようになっていた。毎日汗を流して労働するのも悪くはないと思い始めている自分がいて、そんな一時の気迷い事にアーサーは自嘲したのだが。
 もとより貯蓄する意図もなく、元の身分に戻れば金など腐るほど持っているアーサーは、労働の対価として得た金を手元に残すようなことをしなかった。家賃としてブラウンに50ドルを渡した後は、その残りを全てメイファン親子に何かしらの形で渡していた。
 流石のアーサーも現金で渡すという無粋な真似はしなかったが、それはローランのサッカーボールであったり、何時ぞやの紹興酒となったりした。ある時は、メイファンの料理に肉が少ないことに少なからず不満だったアーサーは50ドルで買えるだけの肉を買って渡したこともあった。メイファンは少し申し訳なさそうに笑って、しかし、そのプレゼントを素直に受け取ってくれた。
 アーサーとて女性に肉を贈ることになるとは思ってもいなかった。しかしメイファンには、バラの花束よりも宝飾品よりも、こうしたもののほうが喜ばれるだろうということが察せられた。いくら他人の機微に疎いアーサーでも、彼女たちの生活が切羽つまったものであることくらいわかっていた。メイファンはいつも笑ってアーサーを出迎えてくれるが、その実、到る所で仕事の面接を落とされ中々仕事に就けないでいることをブラウンから聞き及んでいて知っていた。
 人種のるつぼと言われているこのアメリカでも、外国人への差別は目に見えず根底にある。あからさまに罵倒されるような差別ではない。しかし、もしも仕事の面接を受け、同じ条件の白人と外国人がいたとすれば雇用主がどちらを選ぶかは言わずもがなである。
 そんな静かな差別に落ち込む様子もなくいつも笑顔を振りまいているメイファンを見るにつけ、アーサーの心は痛む。メイファンが失業したのはある意味、アーサーの所為である。
 世界全体が不況にあえぐ中、『IBC』も多分にその例の漏れず業績が落ち込み、アーサーは急場凌ぎの政策として所有する工場の従業員を大幅にリストラするという策を執った。あの時はそれしかないと、大ナタを振るう気分で決断したそれも今となっては、もっと他にできることがあったのではと思えてならない。多少の犠牲は仕方ないことなのだと、『IBC』を立て直すには必要なことなのだと全て分かったつもりで下した采配は、いざこうして実際にその「犠牲」を目にすれば、苦い気分になる。
 きっとメイファンは、彼女がディックと呼ぶその男こそが自分を路頭に迷わせたアーサー・ギルフォードなのだと知ったら失望するに違いない。それを知られることが今はひどく恐ろしい。
 だからメイファンに何かしら貢いでいるのはその罪悪感を少しでも紛らわせたいという自分のエゴがあることもアーサーは自覚していた。
 自分のサイン一つで簡単に他人の人生を狂わせることができるのだと、アーサーは身をもって実感したのであった。


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Stories 〜before Reiji〜 act12

►2008/05/26 12:00 

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 そう僕は、生まれながらにして母親から疎まれた子供だった。
 普通赤ん坊は十月十日を母親の胎内で過ごしこの世に産まれてくる。しかし僕はそのセオリーを破り、二年もの間母親の胎内にとどまり続けた。僕は成長が遅く、子宮内胎児発育遅延だと診断されていたらしい。そんな異常な子供を身ごもってしまった母は精神的に不安定になり、このままでは子供よりも母体の方が先に参ってしまうと判断した医者によって僕は強制的に取りだされたそうだ。
 二年も母親の胎内に居すわったくせに、僕は未熟児で生まれた。2085グラム、それが僕の産まれた時の体重だ。
 その異常な生まれも含め、もう一つ。
 成長して顔の形成がはっきりとしてきた僕は母にも父にも似ていなかった。唯一、血縁を証明できるとすれば僕は母の父親、つまりロシア人である祖父に瓜二つだった。髪の色こそ今では薄茶色という感じだけど、小さい頃はもっと色素が薄くて金茶色って感じだった。顔立ちも西洋人そのもので、ハーフだけど完全な日本人の特徴を示していた母とは似ても似つかなかった。父ともなると、完全にその特徴の欠片もない。だから、父が後に『お前は俺の子供なんかじゃない』と言ったのも、仕方のないことだった。
 でもそれは僕の罪ではない。生まれの異常さも、両親に似ることのなかったこの容姿も、僕には選択の余地のない事象であり、僕の意図したことでもない。僕に罪があるとしたら、彼らの意思に背いてこうして生き続けている僕自身なのかもしれない。彼らは僕が生まれたことを疎んじていたはずだから。


 父は同性愛者だった。でも、父に恋い焦がれていた母は荻久保家という名家の名前を利用して、父に結婚を迫った。そして父も己の性癖をカモフラージュするための隠れ蓑として母を利用した。複雑な利害と思惑が絡み合った結婚だった。
 いつか父が自分を顧みてくれると信じていた母は、その手段として僕を産み落とした。「子はかすがい」という言葉を鵜呑みにした母は見事に失敗した。…僕という欠陥品によって。
 人工授精までして授かった子供は、気味の悪い怪物として扱われた。子宮内胎児発育遅延だと思われていたために、産まれてきても障害のある可能性があると言われて母は「そんな子供はいらない」と言ったのだという。無事に産まれ、障害が全くないと判明してからも、この例のない異常な出産に科学者たちが色めき立ち、検査をさせてほしいと詰め寄ったために母はますます僕を疎ましく思ったことだろう。
 結局僕は産まれてからも成長が遅く、退院できたのは生れてから半年も経った頃だった。
 それでも母は僕を利用することを止めなかった。今度は僕に音楽をたたき込み、その才能で父の興味を惹こうとしたようだ。僕は首がようやく据わった二歳ころからピアノの英才教育を受けていた。一人で椅子に座れるようになってからは、僕に安息の日はなかった。
 僕は「普通の家庭」を知らなかったから、それが普通のことだと思っていたけれど。僕は幼稚園にも通わず小学校に入るまでほとんど家の中で過ごした。ピアノ教師は母。それ以外の教育は、外から家庭教師がやってきて僕はそれなりの教育を受けていた。英語、フランス語、ドイツ語。全ては僕が海外へ出た時に恥をかかないために。それは母自身のコンプレックスであったのかもしれない。
 海外で何度かコンクールを経験した母は、外国人に「変な発音だ」と言われたことがあったようだ。「勉強しないと馬鹿にされるわよ」というのが、勉強を渋る僕に言う常套句だったから。
 勉強以外の時間は全てピアノのレッスンに費やされ、僕は寝る時間と食事時間以外はほとんど自由を与えられなかった。それが異常だという意識もなかった僕は、そんな生活が窮屈だと自覚したこともなかった。
 僕のピアノの技術がある程度に達すると、母は海外から教師を呼んだ。いずれも著名な師範である教育者たちも、つまるところ僕の名前を高めるための道具に過ぎなかった。彼らの名前を出し、教えを受けたと言えばそれだけで僕のピアニストとしての格は上がる。汚い話だけれど、実際日本のクラシック界はそうした箔付けに弱い。
 六歳で国際コンクールのジュニア部門で優勝すると、僕は世間から天才少年と呼ばれるようになった。
 その時ばかりは母も喜んでくれ、僕を抱きしめてくれた。それが記憶にある限りでの最初で最後の抱擁だった。
 僕はそれが嬉しくて、母の喜ぶ顔が見たくて、更にのめり込むようにピアノに打ち込んだ。もっと頑張れば母は僕を愛してくれるかもしれない。そんな儚い期待だけがあの頃の僕の原動力だった。
 小学校に通うようになり、僕のこの異常な生活が普通ではないのだとわかっても、僕はピアノを辞めたいとは思わなかった。
 全ては母のため。僕の母は彼女一人しかおらず、僕に母親の愛情を注いでくれる人もまたその人しかいない。僕はその愛情に常に飢えていた。母が父の愛を得るために必死だったように、僕もまた母の愛を得ようと必死だったのだ。


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Je te veux 〜after Arthur〜 act11

►2008/05/25 12:00 

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 ニューヨーカーは水道水を直接飲むことはしない。それは、水道水の水質が悪いことを皆知っているからである。アーサーの部屋にも酒は置いてなかったが、ミネラルウォーターだけは何本もストックされていた。
「まだ鉛管が残ってる場所が何箇所かあるんだ。健康に影響が出るからな、早く工事しろってせっつかれてんだよ」
 とジュリオは笑う。ジュリオ達はNYの古い水道管を交換する工事を市から請け負っているという。つまりアーサーは今日からその仕事にジュリオ達と共に従事することになるらしい。
 作業用のツナギに着替え、現場までは再びマイクロバスに乗って移動する。現場は複数あるらしく、バスからは次々と人が減っていった。「ここで降りるぞ」と言ってジュリオが下車を促した場所は、メインストリートから外れた飲食店の裏道だった。廃油や生ゴミの匂いが漂い、決して清潔とは言い難い場所だが、人目に触れる可能性が少ないことにはアーサーも少しホッとしていた。
 NYにはアーサーの顔を知る人間も多い。そんな人間に今の自分の姿を見止められて、アイツも堕ちたものだと笑われるのはアーサーにとって屈辱以外の何物でもない。アーサー自身、こんな仕事をすることになった自分を認めているわけではない。できることならこんな茶番は今すぐ終わらせたいと思う。『働かざる者食うべからず』などとガーナーはほざいたが、そんなものはブルーカラー(肉体労働者)達に任せておけばいい。自分はここにいる人間とは違う人種の人間なのだから。
 …そんな選民主義的な思考がアーサーにはあり、自分は選ばれた人間なのだという考えが常に彼の中につきまとっていた。常に支配する立場にいたアーサーは、まさか自分が使われる立場におかれるなどと想像だにしなかったのだった。


(…最悪だ)
 その日の仕事を何とか終えたアーサーは、未だかつて味わったことない屈辱に歯噛みする思いだった。命令されることに慣れないアーサーはジュリオに何か言いつけられるたびに撥ねつけていたが、言う通りにしなければ今日の手当は出せないと言われては、アーサーが折れるしかなかった。それが勤めを果たす上で必要なことなのだと理解できないアーサーには、さほど自分と年齢の変わらないジュリオに頭ごなしに命令されることがひどく不愉快でならなかった。
 しかし、プライドを曲げてまで欲した代償はきちんと手に入れることができた。半分はブラウンへ今日の分の支払いと、残りはメイファンへ昨日の貸しを返すことができる。
 半笑いで今日の家賃を受け取ったブラウンに気分を害された後、アーサーは自室に戻らずそのままメイファンの部屋を訪ねた。食事時間なのか、相変わらずメイファンの部屋からは何かしらの料理の匂いが漂っていてアーサーの胃袋を刺激する。昼は金が無くて何も食べていなかったので、実のところアーサーはかなり空腹だった。
「ハーイ、ディック…って、ちょっと、あなた!」
 メイファンはアーサーの顔を見るなり、大げさなほど顔をしかめて見せた。
「昨日借りた金を返しに来た。…何か問題でも?」
「あなた、鏡見た?酷い顔よ。お金は後でいいから、シャワー浴びていらっしゃい。綺麗にしてきたら三人でご飯にしましょ」
 笑われて、思わず顔に手をやる。しかし手も汚れているのか、どれだけ自分の顔が酷い状態なのかわからない。すごすごと自分の部屋に戻り、シャワールームの鏡を見てギョッとした。一日中コンクリートを掘り起こす作業をしていた為に、砂塵で顔が薄汚れていた。昨日までの不健康な青白い顔と比べれば笑いが込み上げてくるほど滑稽で、ブラウンが自分を見て何か言いたげに薄笑いを浮かべていたのはこの所為だったのかと納得した。
 アーサーは汚れた身体を身綺麗にしてから再びメイファンの部屋を訪れた。メイファンの料理は主に母国の家庭料理が主でアーサーには食べ慣れないものばかりだったが、とても美味しい。メイファンの息子のローランも三日目ともなるとアーサーの存在に少しづつ慣れてきているようだった。「休みはいつ?」と問われ、日曜日だと答えると、「キャッチボールしよう?」と誘われた。さすがアメリカだなと苦笑し、
「野球より、サッカーの方が得意だ」
 とアーサーが言うと、
「ぼく、サッカーボール持ってないからできない」
 とガッカリされた。アメリカではサッカーはマイナーなスポーツだが、ローランの反応を見れば決して嫌いなわけではないことがわかる。
「じゃあ明日買ってきてやる。サッカーは野球より楽しいぞ」
 子供と話しをしたことがないため、どうしても不器用な会話になってしまう。それでも嬉しそうに「うん!」と破顔されては約束を破るわけにはいかないとアーサーは強くそう思う。そのためには明日も働いて給金を得なければならない。メイファンに迷惑をかけないためにも、ローランの笑顔のためにも少しの屈辱は耐えねばならない。
 一週間を過ぎた頃、ガーナー親子が仕組んだこのシステムにアーサーも遅まきながら気づいていたが、意外と順応性に長けていたアーサーはその頃にはすっかりNYでの生活にも仕事にも慣れ始めていたのだった。


〜To Be Continued…〜



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【追記】

ブログ主はNYや下水道工事関係についてほとんど無知です。
なので、ここに書かれているそれらについての情報はほとんどでたらめです。
あまり鵜呑みになさらないで下さいね☆(そんな方はいらっしゃらないと思いますが…(^_^;)
これからも適当な虚述が多々出てくるかと思いますが、サラッと流して読んでくださいませ(苦笑)。
ここはNYもどき、ということで★



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Stories 〜before Reiji〜 act11 (R-18)

►2008/05/23 12:00 

 まず始めにお断りを。本文は男性同士の性描写を含んでいます。18歳未満の方、男性同士の性描写に嫌悪を持たれる方、または(圭吾と玲人の絡みなんて読みたくなかったよ〜!!)という方は、ここで引き返して下さい。下の文章からR-18指定とさせていただきます。

※特に今回は暴力的な描写や流血シーンなどが含まれます。そういった描写の苦手な方は今すぐページを閉じることをお勧めします(^_^;)
 OKの方も心の準備をしてからお読みください★




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 圭吾の言葉は鋭く磨き上げられたナイフのように鮮やかな切り口で僕の心を切り刻んでいく。僕に致命傷を与えることができるのはおそらくそれが圭吾だからだ。同じことを他の人に言われても僕はきっとこんなにもダメージを受けなかっただろう。
 圭吾が僕に新しい世界を見せてくれた。強く、鮮烈な、彼という存在が僕をここまで導いてくれた。それと同じ力で、今度は僕を地の底まで引きずり降ろそうとしている。
 それも仕方のないことなのかもしれないと、僕は頭のどこかでそう考えていた。あの時彼が僕に話しかけなければ、僕の才能はこの億千万の人の中に埋もれる運命だったのだ。始めから僕は存在しないに等しい存在だった。それを彼がこの運命に導いてくれたのだ。だから彼の手によって終わらせるというのも一つの道理だと思ったのだ。
 だから僕は終始抵抗をしなかった。彼が手荒に僕の身体を扱うのを、まるで傍観するかのように意識を切り離して感じていた。
 シャツが引き裂かれ、パンツを膝まで下された。あられもない姿にされても僕は抵抗する気など起きなかった。ぼんやりと圭吾を見つめ、なすすべもなく彼の前に身体を投げ出す。これから何が行われるか想像できてないわけではなかったけど、僕の防衛本能はとことん機能してくれず、それどころかその時の僕にはどんな感情も湧きあがらなかったのだ。
『何で抵抗しないんだよ!!』
 理性など欠片も残ってはいないような顔で圭吾は吠えて僕に噛みついたけれども、例え抵抗していたとしても僕より二回りも三回りも大きな身体をした圭吾相手に僕が敵うはずもない。それが理由というわけではなかったけれど、僕が抵抗しないことが圭吾にはやはり気に食わないようだった。
『そうか、お前はいろんな奴にやらせてるんだもんな。男なら誰でもいいんだろう』
 誰にもそんなことをさせたことなどない。その時はそう思っていたのだけれど、圭吾は僕の反論など期待しているわけではないのだろうから僕は黙っているしかなかった。
『お前は誰にでもやらせる淫乱だもんな。そんな面してやるこたやってんだろうが、あぁ?』
 どうしてそんな歪んだ情報を鵜呑みにするのだろう。今まで二人で頑張ってきた六年は信頼を築くには不十分だったというのだろうか。虚無感ばかりが僕を支配し、ますます僕を愚鈍にした。
『何か言えよ!その澄ました面見てっとなぁ、腹立ってくんだよ!!』
 頬を平手で容赦なく張られた。圭吾が手加減してくれなかった所為でおそらく口の中が切れたのだろう、口の中に鉄っぽい味が広がった。
『言えよ。犯して下さいって言ってみろ。そうしたら少しは優しくしてやるかもな』
 圭吾はその目を欲望と憎しみでギラギラと光らせて僕を見つめていた。
 なんでこんなことになってしまったのだろうと僕は思った。いつから僕たちの関係はこんなにも破綻してしまったのだろうと。こんな風になる前に何か打つ手はなかったのだろうかと。
 間違っていたとするならそれは最初からで、一ノ橋さんに言われるままこの世界に足を踏み入れてしまった僕の所為なのだろう。結果、それは圭吾の夢を潰すことになってしまった。『L-ing For』は成功したけれど、それは圭吾の望む形ではなかったのだから。
 だから「ごめん」と僕は言った。他に言うべき言葉などなかった。僕という存在が圭吾を苦しめるなら僕は消えてしまいたい。なぜなら圭吾が僕の全てだったから。その時になって初めて僕は自分の中の感情に気づいたのだ。愛していることを自覚したのが、今にも暴虐を加えられようとするその直前だったなんてあまりにも滑稽だ。
 しかし、僕の謝罪の言葉は圭吾の最後の導火線に火を付けてしまったようだった。惨めに貶めてやろうとしている相手から拒絶の言葉でもなく哀願でもなく謝られて、圭吾は逆に惨めな気分になったのかもしれない。
 圭吾は僕の首に手をかけ、そして力の限りに締め上げた。苦しくて、でも声も出せず抵抗もできない僕が見たのは圭吾の殺意に満ちた顔だった。圭吾は僕を殺すつもりなのだと、その時はっきりと理解した。
『…死ねよ。お前がいる限り、オレは一生惨めな思いをしていかなきゃなんねぇんだ。お前が、オレを狂わせるんだ、こんな…』
 悲しくて、僕はかろうじて圭吾の手を掴んでいた手を放した。殺したいと圭吾が望むなら僕は死んでもかまわない。圭吾が僕の存在を厭うなら、僕なんか消えてしまったほうがいい。
 諦観した僕をどう思ったのか、圭吾は僕の首から手を放した。咳きこんで身体を丸める惨めな姿の僕をしばらく堪能して、彼は僕の肩を踏みつけた。僕は床に這いつくばって、圭吾に尻を突き出す格好になった。
 腰を掴まれて、高く掲げられたと思った瞬間、中心を引き裂くような激しい痛みが襲った。たまらず悲鳴を上げたけれど、彼の凌辱は止まらない。太ももに生温かいものが流れ、そこが血を流している事を知った。
 何の準備も施されていない身体の中心に彼の欲望を何度も突き入れられ、僕は呼吸も止まりそうなほどの苦しさを感じていた。僕は意識を朦朧とさせながら、その行為を耐えた。
 僕は犯されながら、うわ言のように何かを呟いたのだと思う。記憶はひどく曖昧で、はっきりとは思い出せないのけれども。「好き」だと、「愛してる」と言ってしまったのかもしれない。圭吾は僕の呟きを聞いて、『うるせぇよ!!』と言ったと思う。『今更』とか、『もう遅い』とかそんなことを言っていた気がする。
 圭吾は背後から僕を犯したまま、僕の髪を掴んで引っ張り上げた。ブチブチと髪が抜け、僕は力任せにのけ反らされる格好になった。
『死ねよ!オレが、お前を、殺してやる!!』
 そしてそのまま顔を床に叩きつけられた。鼻やほお骨のあたりでゴキッという嫌な音を聞いた気がした。何度も、何度も叩きつけられた。僕は意識が霞んでいくなか、以前にもこんな経験をしたことがあるとぼんやりと記憶を辿っていた。
『お前は俺の子供なんかじゃない!!お前は悪魔の子供なんだ!!』
 そう、それは僕がまだ幼い頃。10歳になったばかりの僕がこんな風に暴虐に晒されていたことを、その時ようやく思い出したのだった。


〜To Be Continued…〜



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Je te veux 〜after Arthur〜 act10

►2008/05/22 20:00 

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 次の日アーサーは、仕事の時間に間に合うように起床した。
 今日ばかりは仕事をサボタージュするわけにいかない理由を持つアーサーにとっては切実だった。昨日のメイファンの複雑な笑顔を思えば、たとえアーサーがガーナー親子に反感を持っていたとしても働かないわけにはいかなかった。
 借金などという屈辱的な行為をアーサーは初めて体験した。期せずして体験してしまったそれはアーサーに非常に気まずい思いをさせた。明日食べるものさえ心配しなければならない家族からなけなしの金を借りるなど、決してあってはならないことだと流石のアーサーも反省していた。メイファンに借りた金を返すためにも、二度とメイファンに迷惑をかけないためにも今日は絶対に働いて給金を貰わなくてはならないのだ。
 指定された場所に時間通りにやってきたアーサーは厳つい男達で箱詰めのマイクロバスに乗せられ、市街地まで移動した。その中のリーダー格の男に案内されて、アーサーは男達と共に粗末なビルの中へと入っていく。
 仕事の内容について何も訊いていなかったアーサーは、男たちの醸し出す雰囲気から何か嫌な予感を感じ取っていた。周りを見渡せばどれも体格のいい男ばかりで、どう考えても肉体労働者にしか見えない。まさか今からこのむさ苦しい男達と一緒に肉体労働に汗を流せとでも言うつもりなのかと恐々とした気分になる。
 ロッカーの並ぶ部屋に通されてアーサーは服のサイズを訊かれる。作業服に着替えるのだと言われて、ますます予想が的を得ていることを確信する。
「どんな仕事なんだ?私は何も聞いていないのだが」
 アーサーがそう言うと、男は今更何を、という顔になりぞんざいな口ぶりで言う。
「オレ達は土木作業員だ。それ以上でもそれ以下でもない」
 それを聞いてアーサーはやはり、という思いと、なぜ自分がそんな仕事に従事しなければならないという憤りで顔を嫌悪に歪めた。それを見た男はフンと鼻で笑い、アーサーに背を向ける。
「嫌なら今すぐ帰ってもいいんだぜ。あんた、育ちがよさそうだもんな。働いたこともなさそうなお綺麗な手をしてやがる。ここはあんたみたいな人間が来る場所じゃねぇよ、さっさと消えな、坊っちゃん」
 男の言葉にその場にいた何人かがせせら笑う。訛りのきつい集団の中にいてはアーサーの正しく美しいクイーンズイングリッシュは逆に悪目立ちしていた。
 アーサーとて好き好んでこの場所にいるわけではない。帰れるものなら帰りたい。しかしメイファンの顔が頭に浮かび、帰ろうとする足を思いとどまらせた。
「…帰るつもりはない。つべこべ言わず、さっさと早く作業服をくれ」
 高圧的な物言いでそう言うと、男は半笑いを浮かべてアーサーを見やる。舐められるものかとアーサーが睨みつけると、二人の間に緊迫した空気が流れた。しばらく視線を合わせたままそうしていると、男は突然弾けたように笑いだした。馬鹿にされた気がしてアーサーが内心ムッとしていると、男はアーサーの背中を二度三度叩いて握手を求めてきた。
「お前、面白いヤツだな。オレはジュリオ・カザーイ。お前は?」
 握手に応えながら名乗ろうとしてハッと口を閉ざす。思わずアーサー・ギルフォードだと名乗るところだった。
「…ディック・クライブだ」
「ディックか、よろしくな。…みんな聞け!この生意気な新人はディックっていうんだそうだ。仲良くしてやれよ」
 様子をうかがっていた男達が一斉に返事をかえしてくる。
 リーダーのジュリオがアーサーの存在を認めたことで、その他の男たちもアーサーを認めてくれたらしい。先ほどまでの張りつめた空気が消え、アーサーは少しホッとする。おそらく、このジュリオという男に嫌われていたらこれからの一か月は非常に仕事がしづらい環境になっていたに違いないと想像できた。
 とはいっても、アーサーに肉体労働への拒絶があることは変わらない。『IBC』にいたときも多忙ではあったが、ほとんどデスクワークが主だったため汗水流して働いた経験などない。汗を流すといっても、肉体を維持するために週に何度かスポーツクラブに通っていた程度で、それもこの三か月間の怠慢な生活の所為ですっかり筋肉も体力も落ちてしまっている。
 第一に、このような身体が汚れるような仕事に潔癖症のきらいがあるアーサーは嫌悪感を持っている。
(しかし、メイファンが…)
 子供を抱えて懸命に生きているメイファンに好意を持っているアーサーを労働へと向かわせたのは、彼女に報いたいというその気持ちだけだった。


 こうして前途多難なアーサーのワークデイズが幕を上げたのであった。


〜To Be Continued…〜



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Stories 〜before Reiji〜 act10

►2008/05/17 12:00 

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 年明け早々、無期限活動停止を発表する羽目になった『L-ing For』は、解散の秒読みと言われた。確かに周囲の人達からは何度もそうするように言われたけれど、僕は解散するつもりはなかった。
 圭吾と話し合いをして改悛の言葉を聞いた僕は彼を信じることにした。いつか圭吾が更生して、また音楽がやりたいと思った時に、彼が戻ってこれる居場所を残しておきたかった。友人として、パートナーとして僕にできることはそれくらいしかなかったから。
 僕はその間、『L-ing For』の名前が消えてしまわないように様々なことにチャレンジした。そんな時に出会ったのがユベールで、彼の誘いでショーモデルも経験させてもらった。音楽活動に拘らず、オファーがあれば何でもやった。
 しかしそれが更に圭吾の怒りをかうことになるとは思いもしなかった。


 圭吾の二度目の逮捕は僕をどん底まで突き落とした。一度目の逮捕からわずか半年足らず。僕に「クスリくらい簡単にやめられる」と豪語した圭吾は結局、その泥沼から抜け出すことができなかった。
 僕は一ノ橋さんと相談して、ついに『L-ing For』の解散を決意した。薬物犯罪は再犯性が高い、今立ち直っているように見えてもまた手を出すと言われ、僕は悲しかった。 
 圭吾を信じていたかった。しかし、本人の意思とは裏腹に薬物を欲する身体になってしまった圭吾は、もう容易には立ち直れない。そうなる前に圭吾を助けてあげたかった。それができなかった自分が悔しかった。
 今まで励ましてくれたファンのみんなに申し訳ない気持ちでいっぱいだったけど、これ以上心配をかけないためには解散という道を選ぶしかなかった。
 解散の旨は一ノ橋さんから圭吾に伝えられた。一ノ橋さんからは圭吾のリアクションを聞けなかったけど、おそらく圭吾も覚悟はしていただろうと思った。あれだけ周囲に迷惑をかけ、そして世間を騒がせてしまった以上、活動を続けることなどできない。圭吾の唯我独尊な性格は承知していたけれど、それくらいの常識や理性は残っているはずだと。
 圭吾が僕のマンションを訪ねて来た時、円満に解散するための話し合いができると少し安堵した。しかし、そんな僕の思惑は圭吾の姿を見た瞬間に裏切られた。
 よれたYシャツをだらしなく着崩し、強いアルコール臭を漂わせた圭吾はどう見ても正気ではなかった。濁った白目は血走り、灰色にくすんだ肌はいかにも不健康で、切れた唇からは血が滲んでいた。開口一番、聞くに堪えない汚い言葉で僕を罵った圭吾を僕は近所迷惑になるからと部屋に招き入れた。
『この淫乱ホモ野郎が。一ノ橋に何吹き込んだんだよ!!』
 「いちはっさん」と呼んで心から信頼していたはずの人を呼び捨てして、圭吾は狂気じみた目で僕を睨みつけた。何の事か分からずに僕が黙り込むと圭吾は僕の胸倉を掴んで言った。
『事務所クビだとよ。どうだ、すっきりしたかよ』
 もちろん僕はそんなことを一ノ橋さんにお願いしたことなどない。僕らの所属していた音楽プロダクションは業界大手で、社長の鹿島さんの影響力は大きい。一回目の逮捕の時、鹿島さんも温情を見せてくれたけれど二度目は許さなかったのだろう。鹿島さんは優しい人だけど、損得勘定にはシビアな面があった。業界全体を見据えて鹿島さんは圭吾を不利益になる人間と判断したのだろう。それはつまるところ、圭吾のミュージシャンとしての死を意味していた。
 そうなってしまっても仕方のないことを圭吾はしたのだ。それは僕が一ノ橋さんや鹿島さんに言うまでもなく当然の処置だ。でも圭吾の怒りは全て僕に向かっていた。なぜこんなにも圭吾に恨まれているのか、僕にはわからなかった。圭吾の怒りは、恐怖や戸惑いよりもただただ僕を悲しくさせた。
『ちゃらちゃらとテレビ出まくりやがって。そんなにチヤホヤされてぇのかよ!』
 圭吾が不在の間の活動をそんな風に言われて、僕はそれが失敗だったことを思い知った。テレビに出演した時も、割合僕に対して皆同情的だった。おそらく圭吾はそんなシーンを見ていたのだろう。想像するまでもなく、そんな空気は圭吾を居たたまれない思いにしたに違いなかった。
 苦しかったのは胸倉を掴まれている所為だけではなかった。圭吾のためを思ってしていたことが理解されていなかった、その齟齬が僕の胸を締め付けた。
 もうどんな言葉も圭吾の耳には届かない。僕の想い、僕の叫び。狂ってしまった圭吾の心には、もう何も伝わらない。圭吾をここまで狂わせてしまったのは、他ならぬ僕なのだから。
 掴まれていたシャツを思い切り突き放されて、僕はフローリングの上に叩きつけられた。圭吾はそんな僕を不気味な笑みを浮かべて見つめていた。
『オレがメチャクチャにしてやるよ、この薄汚いオカマ野郎』


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Je te veux 〜after Arthur〜 act9

►2008/05/16 20:00 

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 目覚めると、すでに外は明るくなっていた。どうやらもう昼間のようだと、二日酔いでひどく痛む頭を抱えてベッドの上で寝がえりをうつ。
 昨日はメイファンの家で夕食を摂ったが、どうしてもアルコールが欲しくなりメイファンに頼んで料理用だという紹興酒を飲ませてもらった。一杯だけという約束だったがそんな量でアーサーが満足できるわけがなく、結局あるだけの酒を飲み干してしまった。
 かなりアルコール度数がきつかったのと、飲みなれない種類の酒だったのがまずかったのか、見事にこうして二日酔いになってしまったのである。
 …しかし。
(そういえば、今日から仕事だったな…)
 朝早いからあまり飲み過ぎないでねとメイファンに何度も注意されていたが、案の定寝過してしまったようだ。時計を確認すると、すでに午後をまわっていた。
 今から行っても手遅れなのは明白で、もとより働く気などなかったアーサーは、今日ばかりは大目に見てもらおうと二度寝の体勢に入った。
 夕方、乱暴にドアを叩く音がして目が覚めた。気だるい身体を怠慢な動きでどうにか起こして玄関に向かう。ドアの外に立っていたのはブラウンだった。
「いい御身分だな。寝ていたのか」
 開口一番にそう指摘されて、寝起きの不機嫌さが更にいや増す。
「だから何だ」
 心地よい午睡を邪魔されて、アーサーは不愉快極まりないとブラウンを睨みかえす。そんなアーサーをブラウンは鼻で笑った。
「仕事に行かなかったそうじゃないか。金はあるのか?」
 言われて昨日交わした約束を思い出したが、そんな金がアーサーにあるはずもない。言葉に詰まったアーサーに、ブラウンは非情にも退去通告を出す。
「じゃあ、約束通り出て行ってくれ。契約を守れないヤツの面倒など見きれん」
 今すぐにでも出て行けと言わんばかりに仁王立ちになったブラウンに怒りが込み上げる。勝手に押し付けた約束を守れなかったからといって、この扱いはあまりにも横暴すぎる。
「ここでは働かない者は生きていく資格はない」
「メイファンだって働いてないだろう」
 アーサーの屁理屈にブラウンは口元を歪めて笑う。
「誰のせいだと思っているんだ。メイファンの働いていた工場は『IBC』資本の工場だぞ」
「何…?」
 経営不振に伴い、アーサーが執った策とは工賃の高い地域の大規模なリストラや工場の閉鎖だった。中国や他のアジア地域に比べて、欧米の人件費は10倍以上の差がある。アーサーとて安易な考えでリストラ政策を執ったわけではないのだ。
「というわけで、ここら辺にはお前を恨んでいる輩が大勢いる。せいぜいバレないように物乞いすることだな」
 ブラウンは本気で自分をここから追い出すつもりらしい。
「わかった。明日払う、それでいいだろう」
「ダメだ。今日からだと言っただろう」
 一歩も引くつもりもないらしいブラウンに、アーサーは苛立ちを募らせる。融通の利かない頑固っぷりは、アーサーへの個人的な恨みもこもっている気がする。
「私にどうしろと言うんだ」
「お前が決めろ。路上生活者になり物乞いをするか、誰かに50ドルを借りるか」
「何だと…」
 昨日ここへ来たばかりで頼れる人間などメイファンしかいない。それを承知の上でつまりブラウンは、メイファンに金を借りてこいと言っているのだ。
「そんなこと、できるはずがない」
 失業中のメイファンに人に金を都合できるほどの余裕があるとは思えない。しかし、今金を払わなければブラウンはアーサーを容赦なくここから追い出すつもりなのだろう。
「お前はNYの路上生活者を見たことがあるか。あれはな、道行く人から金を恵んでもらう代わりに人としてのプライドを捨てていくんだ。果たしてお前にそんな真似ができるかな?」
 アーサーは忌々しい気持ちでブラウンを押しのけると階下のメイファンの部屋に向かう。呼び鈴に応えて顔を出したメイファンにアーサーは屈辱の言葉を口にする。
「すまない…。50ドルを貸してもらえないか」
 プライドの高いアーサーに路上生活などできるはずもない。やっていることに大差はないが、これが最初で最後だと思えば我慢できる。
「50ドル…?え〜と、ちょっと待ってちょうだい」
 部屋に戻ったメイファンは財布を持って現れた。
「50ドル…。よかった、ちょうどあったわ」
 財布の札入れには50ドルきりしか入っていなかった。それでもメイファンはその50ドルを貸してくれるという。
「本当にすまない。明日、必ず返す」
 心からメイファンへの謝罪の気持ちでいっぱいになり、明日は何としても働かなければならないと悔恨したアーサーだった。


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Stories 〜before Reiji〜 act9

►2008/05/16 12:00 

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 デビューが決まってからは怒濤の日々だった。コンビニを辞めた僕は、早速イメージチェンジをさせられた。眼鏡をコンタクトレンズに変えただけでも十分に変化はあったけど、髪型や服装まで指導されて僕はそれまでとはまるっきり別人みたいになった。
 それからは写真撮影や雑誌の取材、ラジオやテレビでのプロモーション、様々な会社への挨拶回りなど、分刻みのスケジュールに目が回りそうな忙しさだった。圭吾などはさらにそれに加えて楽曲の作詞もしていたんだから、もっと忙しかったと思う。
 そうしているうちに、圭吾が僕に対してきつく当たることは次第に無くなっていった。忙しいスケジュールを一緒にこなしているうちに不思議と連帯感が生まれたというのもあるし、一番大きな要因だったのは僕らのユニット名が圭吾の考えた『L-ing For』(エリングフォー)に決まったことかもしれない。
 「Looking for you」(君を探していた)という意味が込められたその名前は、こう言っては何だけど圭吾が考えたとは思えないほどロマンティックで僕も気に入っていた。後ほどそのタイトルで楽曲を作り、それは僕らの代表曲になった。
 『L-ing For』の名前は大人たちの予測通り、アッと言う間に世間に浸透し、僕等は一躍有名人になった。曲は新人にしては異例のヒットを飛ばし、年末のイベントには引っ張りだこだったものの、レコード大賞の最優秀新人賞だけは逃してしまった。しかしそれが逆に僕らの絆を深めた。いつか大賞を取れるようなアーティストになろう。それが二人の共通の目標になった。
 始めの頃は作曲は一ノ橋さんにお任せしていたけれど、僕も少しづつ楽曲作りに参加するようになっていた。そして僕が作曲した3rdシングルがヒットした時には、僕に楽曲作りを全て委ねると一ノ橋さんが言ってくれた。圭吾と相談して、僕等はデビュー当時のアイドル路線から少しづつ脱却してアーティストとしての道を本格的に歩んでいくことになる。


 アジアツアーの成功、アメリカでの公演決定。三年目の僕等は勢いを落とすことなく、絶好調だった。ついにその年にはレコード大賞の最優秀賞を受賞した。僕等はまさに人気の絶頂にあった。
 ずっとこのスピードで走っていけるのだと信じていた。毎日を全速力で走り抜けるような日々は、とても大変なことも多かったけど、充実していた。時々イライラさせることもあったけど、圭吾との仲も概ね良好だった。性格も価値観も違う二人だったけれど『L-ing For』というユニットが僕らを上手くまとめてくれていたと思う。
 そんな僕らに最初の陰りが差したのは、その三年目のことだった。ある音楽雑誌の批評に、圭吾の詩作への批判が掲載されたのだ。
「マンネリ化している」「安っぽい歌詞」「ありふれたフレーズを並べただけ」
 そして最後は「彼らの曲は早々に飽きられて風化していくだろう」と締めくくられていた。
 当然、圭吾は怖ろしい剣幕で激怒した。そしてこの記事を書いたのが、音楽業界の重鎮とも言われる人だったのが尚悪かった。メディアにもこの批評は広まり、そして圭吾の怖れ知らずの態度も話題になった。
 四年目、その年も僕等はレコード大賞を獲ったけれども去年とは勢いが全く違っていた。目に見えて僕らのCDの売り上げは減っていたし、巷の評判も悪くなった。
 その頃からだろうか、圭吾からどこか後ろ暗いものを感じるようになった。あまりよくない連中と付き合っているらしいという噂も耳にしていた。けれど僕にはどうすることもできなかった。圭吾のプライベートにまで口を挟めるほど僕は圭吾と深く関わっていなかったから。
 『L-ing For』の活動が減っていくなか、僕は他のアーティストへの楽曲提供やプロデュースなどを手掛けるようになった。周りからは『L-ing For』を解散したほうがいいのではと言われていたけど、僕はその意見には決して耳を貸さなかった。
 いつか圭吾は戻ってきてくれる、それまでは僕一人で頑張ろうと。
 それでもレコード大賞の三年連続受賞は間違いないだろうと言われていた。惣領氏にセクシャルな取引を持ちかけられたが、僕自身は賞にはこだわりを持っていなかったから、受賞できなくてもそれはそれで仕方無いことだと思っていた。
 しかし圭吾は違った。誰から聞いたのか分からないけど、惣領氏と僕の取引のことを知っていたのだ。
『お前、あのオヤジと寝ときゃあよかったんだよ』
 受賞を逃したバックステージでそんな事を言われて、あまりのショックに僕の心は麻痺してしまっていたのかもしれない。
『どうせどっかのお偉いさんにそのケツ掘らせて仕事もらってんだろうが。なんであの惣領とかいうおっさんにやらせなかったんだよ?』
 僕一人、絶えず仕事が舞い込む状況を圭吾はそういう風に解釈していたのだとわかり、悲しくて、悔しくて、辛かった。
 僕だけでも頑張らなければ『L-ing For』は駄目になってしまう…。そんな気概で頑張ってきた僕の心を否定されてしまった。


 そして、圭吾が覚せい剤所持で逮捕されたのはそのすぐ後のことだった…。


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Je te veux 〜after Arthur〜 act8

►2008/05/15 20:00 

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 アーサーは階下の部屋を訪れ、朗らかな笑顔を浮かべるメイファンに快く迎えられた。
 生活感の漂う部屋に通されるとそこには、まだ未就学だろう年頃の少年がいて、見慣れぬ訪問者に警戒心を顕わにした目を向けていた。混血児らしく、茶色の髪と目や顔つきに欧米人の特徴が表れていた。
「この子はローラン。私の大事な一人息子よ。…あ、ごめんなさい、あなたのお名前を聞くのを忘れてたわ」
 メイファンのその言葉で、ブラウンが自分のことを全て彼女に伝えているわけではないことを知った。おそらく彼女は目の前の男がアーサー・ギルフォードであることを知らない。
「こちらこそ失礼した。私はディック・クライヴ。今日からこの上に住むことになった。よろしく」
 ディック・クライヴ。それがこの先一か月間のアーサーの名前だ。髪を黒く染めただけとはいえ、こうもやつれてしまっては今のアーサーを、あのアーサー・ギルフォードだと見抜ける人間はいないだろう。
「よろしく、ディック。私のことはメイファンと呼んでね」
 お互いに紹介し合い、そこでふとアーサーは父親の陰がないことに気づく。室内を見渡してもそれらしい人物はおらず、そもそもこの部屋には男が住んでいる気配がない。アーサーがそんな疑問を持っていることに気づいたのか、メイファンが笑って言う。
「この子の父親とは結婚していないの。だからここには私とこの子の二人だけ」
 たまに金をせびりにくるけどね、と笑いながら話すメイファンはそんな苦労を感じさせない明るさがあった。物価の高いNYで女手一つで子供を育てるのはかなり困難なはずだ。しかし、目の前のメイファンからはそういった苦しさを微塵も感じない。
 気にしないで、と彼女は言う。アーサーは自分が余程痛ましい表情をしていたのだろうと、自分を戒めた。同情など、そんな安っぽい感情は捨てなければならない。低所得者の彼らに情けをかけてもキリがない。きっとこの辺りに住んでいる人間たちは皆、ろくでもない人生を歩んでいる人間たちに違いないのだから。
「ここに座って。ご飯、すぐ用意するから」
 そう言われてアーサーは粗末なテーブルセットに腰をかける。座ったとたんに軋んだ音がし、足が折れるのではないかと不安になった。
 手際よく料理を始めるメイファンに、アーサーが話しかける。
「ミスター・ガーナーから私のことを頼まれたというのはどういうことだ?」
 なぜメイファンにそんなことを頼んだのか疑問だった。まさか自分がアーサー・ギルフォードだということは話していないだろうが、彼女がどれだけの情報を得ているかによっては会話の内容が違ってくる。
「どうせあなたは食事なんて作れないでしょうから、少し面倒をみてやれって言われたの。…これはあなたには言うなって言われたけど、少しだけお駄賃もらったのよ。私失業中だから助かったわ」
「…そうか」
 確かに、今日メイファンに声を掛けられなければ夕食を食いはぐれるところだった。しかし、ブラウンにそこまで面倒見られなくてもそのうち何とかするはずだったと、彼の親切心を否定した。
「ニュージャージーにある繊維工場で働いてたの。でも、リストラになっちゃって。今、仕事探してるところなの」
 彼女のような外国人労働者などは真っ先にリストラ対象になってしまうだろうと容易に想像できた。『IBC』でも先ごろこの経営不振に伴って、採算の合わない工場の閉鎖や大規模なリストラを行った。この世界的な不景気に見舞われている昨今、こんな話は珍しくない。
 彼女は自分の身の上を簡潔に話しながら、てきぱきと料理を作った。食卓に夕食が並ぶ頃には、アーサーも彼女について一通り知ることになった。
 メイファンは、アーサーより二歳年下の28歳。もっと若く見えたが、やはりレイを引き合いに出すまでもなく、東洋人は年齢よりも若く見えるらしい。NYに来たのは八年前で、中国では結構有名な女優だったのだという。
「ハリウッドスターになりたかったの」
 そう言ってメイファンは苦い笑みを浮かべた。
 …俳優協会に登録しなければならない。それには多額の寄付が必要なのだと、そんな言葉に騙されて有り金を全部取られてしまったという。母国の人間には大見栄をきって飛び出してきた手前、成功するまで帰れないと思ったメイファンは、バイトをしながらオーディションを受け続けたがことごとく落とされてしまったらしい。そんな時、つき合っていた男との間に子供ができてしまい、それを期にきっぱりと女優への道を諦めたという。
「でも私、今の方がずっと幸せよ。もし、女優になっていたとしてもこの子と暮らす幸せに比べたらちっぽけなものね」
 そう言ってローランを抱きしめるメイファンの表情は心底幸せそうで、その言葉が決して負け惜しみなどではないことが伝わってくる。
 自分ならどうだっただろう。もし、レイと『IBC』を天秤にかけなければならないとしたら自分はどちらを選んでいただろうか。四年前その選択肢を迫られ、二つとも取ろうとして、結局は二つとも逃してしまった自分は愚かだったのだろうか。あの時自分はどうすべきだったのか。
 メイファンの心から満たされた笑顔に、自分の心に空いた空洞を改めて自覚させられ、無常感を覚えたアーサーだった。


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Stories 〜before Reiji〜 act8

►2008/05/15 12:00 

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 フォトスタジオで写真をたくさん撮られてしまった日から二週間ほどが過ぎていた。
 あれから一度も圭吾はコンビニに来てくれなくなって、僕はとうとう彼に嫌われてしまったんだと思っていた。一ノ橋さんに「大事な話がある」と連絡があって呼び出されたけど、僕の心は憂鬱だった。また僕には不釣り合いな場所に連れ出されるんじゃないかとビクビクしながら以前待ち合わせした喫茶店に足を運んだ。
 そこにはすでに一ノ橋さんがいて、しかもその隣に圭吾も居たのには驚いた。圭吾は相変わらず不機嫌そうに口をへの字に歪めて、そっぽを向いたまま僕を見ようともしない。やっぱり僕は圭吾に嫌われてしまったんだと、ひどく落ち込んだ。
『コイツのことは気にしないで』
 圭吾の態度にシュンとなった僕に、一ノ橋さんがそう言って気遣ってくれた。でも僕は、圭吾の不機嫌の原因は僕にあると分かっていたので「帰ります」と言って席を立った。圭吾のあんな表情はいたたまれない。それが僕の所為なのだとしたら尚更だった。
 しかし、立ち去ろうとした僕の手を一ノ橋さんに掴まれて『ちょっと待ちなさい』と引き留められた。
『これは君たちにとって大事な話なんだ』
 いつもにこやかだった一ノ橋さんの、少し怒ったような真剣な表情に僕は委縮して、再び席についた。一ノ橋さんの言った、「君たち」というのは僕と圭吾のことなのだろうかと僕は頭を悩ませた。圭吾とユニットを組む話は断ったはずなのにと、僕は一ノ橋さんの言葉を待った。
『荻久保くん、君には圭吾とコンビを組んでもらうことになった』
 その言葉に僕は言葉を失った。断ったのにどうして、と一ノ橋さんを見やると、先ほどとは打って変わって申し訳なさそうに彼は笑った。
『君にその意思がないことは承知しているけどね。しかし君のその才能と美貌をむざむざと放っておくことなど僕にはできない』
 勝手だと僕は言いたかった。僕は断った、それなのに僕のその意思は全く無視されてしまったのだ。
『どうせコイツが君に何か言ったんだろうけど、そんなことは気にしなくてもいい。このプロジェクトに君の存在が欠かせないんだ』
 どうか頼む、と一ノ橋さんに頭を下げられて僕は恐縮のあまりワタワタとしてしまい、「顔を上げてください」と泣きたい気分で言ったのだけれど。
 この時の僕は、その裏で蠢く大人たちの策略など知る由もなかったのだった。これも今になって気付いたことだけれど、僕という存在は低迷する音楽業界に即戦力となり得る人材だったのだろう。僕の両親のネームバリュー、そして僕の名前も、一ノ橋さんのようにクラシック音楽に通じる人間ならば一度は耳にしたことがあるだろうから。おそらくCDを買ってくれる人たちには僕の両親も、僕の過去の栄光などどうでもいいことで、つまりは僕が「音楽一家のサラブレッド」であることが宣伝材料になるのだ。そしてそれは全く無名の新人を売り出すよりもメディアに取り上げられやすく、効果的に知名度を上げる役目を果たす。そして僕が持つこの容姿もそれを引き立てる、絶好の役割をはたしていたのだろう。
 本人たちの意思などお構いなく、僕らのデビューが決まってしまったのはこういう裏があったのだと気づいたのは僕自身がプロデューサーという立場になってからのことだった。
 だから、圭吾がその時叫んだ、『オレはソロでやりたいんだ!!』という強い希望も、そんな大人たちの思惑にあっさりともみ消されてしまったのだった。
『お前一人でどうやってCD売っていくっていうんだ。この業界はそんなに甘いもんじゃないんだよ』
 一ノ橋さんのその時の言葉も、今にして思えば納得できないこともない。圭吾がどんなにボーカリストとしての才能を持っていたとしても、どんなにいい歌を歌ったとしても、必ずしも売れるとは限らない。そこには必ず売り出すための「宣伝」が必要で、そのためには莫大な費用がかかる。圭吾のような、ほとんど無名の新人を一から宣伝するよりも、僕のような「音楽一家のサラブレッド」という付加価値があるほうが、マスコミは勝手に宣伝してくれるのだ。
 しかし、その時一ノ橋さんが発した言葉が圭吾の心に深い劣等感と、僕への憎悪の種を植え付けたことは間違いない。そして、僕たちの間に最初の亀裂が入ったのはまさにその時だったんだろう。その亀裂はまだ目にも見えないほど小さなものでその時の僕には分からなかったけど、一度入ってしまった亀裂は時間を経て徐々に大きく、深くなっていく。
 一ノ橋さんの一見優しげに見えて、その実有無を言わさぬ強引さを持つ言葉に逆らえるほどの強い意志を持たない僕は、僕が辛うじて持っていた反意さえ押し流そうとするその流れに身を任せるしかなかったのだった。


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Je te veux 〜after Arthur〜 act7

►2008/05/14 20:00 

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 散々不満を言い募り、こんな馬鹿げたことは納得できないと主張したが、結局アーサーはガーナー親子にいいように言いくるめられて、この話を呑むしかなかった。これがアルコール依存症の治療に関係があるとはどうしても思えないアーサーは、あの二人が自分を貶めて楽しんでいるとしか思えなかった。
 案内された部屋には確かに家具もあり、生活するために必要なものが最低限揃っているようだった。しかしそのどれもがアーサーの部屋にあったような最先端の機器ではなく、使い方も分からないような旧式のものばかりで、それを見ただけでアーサーの気分はひどく滅入った。
 明日からどうすればいいというのだろう。財布もカードも取り上げられてしまった今、パスポートなどあってもイギリスに帰ることすらできない。こんな扱いでは強制的に労働させられそうになっていると警察に訴えれば犯罪として成り立ちそうな気さえする。しかし、そんなことをすれば自分の名前が公になることは必至で、メディアはそれを面白おかしく書き立てるに決まっている。警察に駆け込むことは自ら彼らにネタを提供しているのと同じで、プライドの高いアーサーにはメディアに自分の名前を蹂躙されることが許せなかった。
 四年前、レイとの関係が世間に明らかにされてしまった時の屈辱を今でもアーサーは忘れることができない。ギルフォード家の権力をもってしても握り潰すことのできなかったあの騒動は、アーサーの矜持に深く禍根を残した。レイの心が自分から離れてしまう根本の原因になったのも全てその所為だとアーサーは思っている。あの時、民衆がレイを一斉にバッシングするようなことがなければ、レイはずっと自分の傍にいてくれたはずだったのだ。レイはその非難を一身に受け、あまつさえ卵をぶつけられるということもあった。あの時から、全てが狂い始めたのだと思うとアーサーの心はプロレタリアートへの憎しみでいっぱいになった。あんなことさえなければレイも、自身の地位も名誉も失うこともなかっただろうにと思えば腹立たしい。
 


 そんなことを考えながら何もない部屋で過ごしていると、窓からの光が徐々に弱くなってきていることに気づく。もう時刻は夕方に差し掛かっていた。アルコールの切れた身体はもう限界で、喉が渇いて仕方無かったが、この部屋に酒が置いてあるはずもない。酒を買う金もないアーサーはひたすらその渇きを堪えるしかなかった。
 酒を口にすることのできない苛立ちは、ガーナー親子と、自分をこのような境遇に貶めた『IBC』の役員たち、レイを罵ったパパラッチ達に向かった。そしてこのような運命に自分を陥れた神を呪った。どうして自分だけがこんな目に合わなければならないのかと大声で叫び出したい気分になった。
 陰鬱な空気の籠る部屋が忌々しくて、窓を開け放つ。
「クソ………ッ!!」
 何度もこぶしを窓枠に打ちつけて怒りをぶつける。そんなことをしてもどうにもならないとわかっていても、身の内に蟠る鬱々とした怒りをどこかにぶつけないと今にも発狂してしまいそうだった。
 悔しい。どうしてこの自分が、華々しい将来を約束されていたはずの自分がこんな卑しい身分にまで堕ちてしまったのだろう。何よりも、自分自身がどうしようもなく堕落してしまっていることが一番悔しい。こんな状況に陥ってしまった今、真っ先にどう逃亡しようかと考えていた自分が一番悔しかった。
 一か月とはいえ、貴族として生きてきた自分がいきなりこんな環境に放り込まれて生活していける自信などなかった。金がないという状況を体験したこともなかったアーサーには、これからの一か月をどうやって過ごせばいいのか全く見当がつかない。
「クソ…」
 こぶしから血が滲んでいることにも気付かず、アーサーは窓辺で途方に暮れていた。オレンジ色の光が自分を照らすが、それすらもアーサーの気分を忌々しくさせた。
 そんな時である。窓際でうなだれるアーサーに、女の声が聞こえてきた。
「ハーイ!あなた新入りさん?」
 明るい女の声に、アーサーは一体何だと声の発生源に目をやる。ちょうどアーサーの真下の窓から、黒い髪の女が顔を出していた。身を乗り出してアーサーを見上げる女は朗らかな笑顔を浮かべてアーサーが言葉を返してくれるのを待っている。
「そうだ」
 ぶっきらぼうにそう返し、アーサーは黙り込む。
 若いその女は東洋人のようだった。くせが強いイントネーションから中国系と思われた。
「私はメイファン。ここに子供と住んでるの。うるさくしちゃうと思うけどよろしくね」
 うるさいと言えば今がそうなのだが、メイファンに悪い印象を持てないのは彼女の笑顔が自分の想い人に似ている所為だとアーサーは気づく。容姿の特徴は全く似ていないが、控え目で裏のない笑顔は否応なくレイを思い出させる。
「夕食は食べた?もしよかったら、一緒にどうかしら?」
 いきなりの誘いにアーサーは驚きを隠せない。いくらなんでも初対面の人間を家に招くというのは警戒心がなさすぎるのではないだろうか。そう思っていると、メイファンがその訳を明かしてくれた。
「ガーナーさんからあなたのこと頼まれてるのよ。色々世話してやってくれって。ご飯、まだなんでしょ?」
 これは彼女の親切心からではないらしい。そうわかって一気に苛立ちが再沸した。父親のガーナーが余計な気を回してくれたらしいとわかって、腹が立った。
「いらない」
 余計な御世話だとも言い加えたかったが、女性にそこまで暴言を吐くことも躊躇われてそれはのみこんだ。怒りの所為で忘れていたが、朝食を食べてから一切何も口にしていないアーサーは確かに腹が減っていた。
 するとメイファンは笑顔のままで怒ったような口調で言う。
「いいからいらっしゃい。ママの言うことは聞くものよ」
 どう見ても年下にしか見えないメイファンにそんな風に言われて、アーサーは思わず苦笑する。どうやら言う通りにするしかなさそうだった。


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Stories 〜before Reiji〜 act7

►2008/05/14 12:00 

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 一ノ橋さんと約束した喫茶店に僕は予定よりも早く着いてしまい、僕はひどく落ち着かない気分で予定までの時間を過ごさなければならなかった。
 一ノ橋さんが来たらまず頭を下げて謝ろうと思った。もしかしかしたら僕がこの話を断ったことを一ノ橋さんは怒っているかもしれない。せっかくあんなに熱心に誘って下さったのに、と思うと胸が痛んだ。でも僕にあんな華やかな世界が相応しいとは思えなかったし、何より圭吾にあんなに怒って反対されたら僕は断るしかなかった。
 圭吾に怒られるのはいやだった。初対面の時からそれはずっと僕の根底にあって、それから六年間それは僕の思考を左右する判断基準になるのだけれど、それがどういう感情によるものなのか僕は結局あの時まで気づくことはなかったんだった。そしてそれが僕たちの関係を破綻させる原因の一つになるということもその時の僕には知る由もなかった。


 一ノ橋さんは少し遅れてやってきたけれど、別段僕に対して怒っている様子もなく、むしろニコニコと笑顔を振りまいてくれた。おかげで僕は必要以上に緊張せずに謝罪の言葉を口にすることができた。
 僕が謝ると、一ノ橋さんは『悪いと思うなら、これから少し付き合ってもらえるかな?』と言った。僕は断ることもできず「はい」と頷いた。夕食にはまだ早い時間だったけどまたどこかに食べに行くのだとばかり思っていたら、連れて行かれた先は「フォトスタジオ」。つまり、写真を撮るところだった。一ノ橋さんの意図が読めずに、ただ僕は彼の後ろについていくしかなかった。
 そこで僕はカメラマンだという男性とスタイリストの女性を紹介された。周りにもスタッフの人達がたくさんいて、その誰もが僕らに訝しげな遠慮のない視線を向けてきた。僕自身、なぜこんな所にいるのかさっぱり分かっていなかったから、そんな突き刺さるような視線が痛くて一刻も早く一ノ橋さんが用事を済ませてくれないかとそればかりを考えていた。特にカメラマンの人などは、僕を頭の先からつま先まで舐めるように見た後、はっきりと「使い物にならない」と断言した。僕はそれが何に対しての評価なのかも分からないながらも、自分に対して下された不合格宣言に少なからず傷付いていた。
 そんなカメラマンに対して一ノ橋さんは『まぁまぁ』と笑って、僕に眼鏡を外すように言った。小さい頃から僕は梁田さんから「眼鏡は人前で外さないように」と言われていたので、かなり躊躇いがあった。だけどそうしないことには僕はここから帰れそうにもなかったので、仕方なく僕は眼鏡を外して見せた。
 今思えば、幼い頃の僕を知っている一ノ橋さんには僕の容姿が人並みではないことにある程度勝算を持っていたんだと思う。でなければこの日スタジオを貸し切り、スタッフを揃えて準備していたのは全くの無駄手間になりかねない。
 僕が眼鏡を外すと、周囲の態度が驚くほど一変した。眼鏡を外すように指示した一ノ橋さんでさえ『これほどとはね…』と絶句していた。僕はそんな態度の変化に戸惑い、注目されることになれない僕は今まで感じたこともない周囲の熱っぽい視線に身体を丸めていることしかできなかった。
 僕は酷い乱視で眼鏡をかけていないと自分の顔すらまともに見ることもできない。だから、自分の容姿がそれほど優れていると自覚したこともなかった。これも最近気付いたことだけれど、梁田さんが僕に人前で絶対に眼鏡を外すなと言ったのは、僕のこの幼い少女めいた顔立ちに邪な感情を抱く人間が現れないとも限らないと思ったからなのだろう。実際、顔の半分くらいが隠れてしまうビン底眼鏡をかけている時はそういった誘いの声を掛けられることは一切なかったのに、コンタクトに変えてからというものの、食事に誘われたり、休日の予定を聞かれたり、中にはあからさまにセクシャルな誘いをかけてくる人間も現れるようになった。それはいずれも男性で、僕の場合、女性に訴えかける魅力というのがほとんど皆無のようだった。
 とにかくその日は服を着替えさせられ、メイクを施され、汗が噴き出そうなほどの熱量のライトを当てられ、思わず目を瞑ってしまいそうなフラッシュを浴びて、クタクタになって一日を終えたのだった。
 それが後日どのようなことになるのか、疲れ果てた僕にはその時想像もできなかったのだけれど。


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Je te veux 〜after Arthur〜 act6

►2008/05/10 20:00 

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 古びたアパートの中に通されたアーサーは三階に住んでいるガーナーの父親に会うことになった。元々はアメリカ人であるガーナーはカウンセラー人口の多いNYでは商売にならないと、パリへと拠点を移したらしい。「パリのアメリカ人ってやつだな」とガーナーは笑ったが、未だに腹立たしい気分のアーサーには笑ってやる義務もない。
 ガーナーの父親の住む部屋に通された時、期待してはいなかったがやはり想像通りの狭さと粗末な造りに絶望した。昨日まで暮らしていたアーサーのペントハウスのリビングほどの広さもない部屋は窮屈この上ない。そんな狭い室内に本棚やらオーディオやらが所狭しと並んでいるので狭い部屋が尚更狭苦しく感じられる。部屋主への挨拶よりも室内の観察を優先して、しばらくしてようやく胡乱な態度でその人物に視線をやった。
 頭に白いものが混じっている点以外はまったくガーナーにそっくりな男だった。そして口元に浮かべた皮肉めいた笑みまでも型にはめたようにそっくりで確かに二人が親子だということは見た目にもわかりやすい。
「オレがここのオーナーのブラウン・ガーナーだ。よろしくな」
 ミスター・ガーナー、と呼ぼうとするとブラウンでいいと言われたが、慣れ合うつもりもないアーサーはそれを無視した。
「こちらこそ、これからしばらく世話になる、ミスター・ガーナー」
 ブラウンは呆れたような視線を息子に送るが、ガーナーは(我慢してくれ)と言わんばかりに肩をすくめて見せた。
「あんたに住んでもらうのはここの五階になる。室内は今あんたが見たようにここと同じ造りになってる。家具は最低限そろってるから安心していい」
 何か質問は?というように手を広げられて、アーサーは一番の懸念を口にする。
「家賃はどうすればいい?今手持ちの現金がない」
 財布の中にはわずかなポンド札とプラチナランクのキャッシュカードしか入っていない。アーサーがそう言うと、ガーナーが笑う。
「ああ、そうそう。財布は没収な。家賃は自分で働いて稼ぐんだ」
「…何?」
「親父にはお前の事情も話してある。だから一括で払わなくてもいいことにしてもらっている」
 まったく話の読めないアーサーには、ガーナーの言葉も理解出来ない。怪訝な顔のアーサーに、ガーナーは己の説明不足を棚に上げてやれやれと話し始める。
「あんたには明日から日雇いの仕事をしてもらう。毎日仕事が終わると100ドルの給料が貰える。あんたはその給料から50ドルを親父に払う。その代わりあんたが仕事をさぼって働かなかったりして家賃を払えなくなったら、その時は即退去になる。そうなったらあんたは路頭に迷うことになるな」
 日曜日はその限りではないこと、自分の名前を名乗らないこと、身の回りのことは自分自身ですること、等のルールが伝えられ、アーサーはそのあまりの馬鹿馬鹿しさに再び声を荒げた。
「私に日雇いの仕事をさせるというのか?お前はどこまで私を貶めれば気が済むんだ。こんなことをして楽しいか?私にこれ以上ない屈辱を与えて、お前は満足か!?」
 目を血走らせて怒鳴り散らすアーサーに、それまで沈黙していたブラウンが一喝した。
「黙れ、このチキン野郎が!!」
 あまりの罵倒に怒りよりも驚きでアーサーが口を閉ざす。
「この辺りの人間にゃ、日当100ドルなんて破格だ。それをあんたに紹介してやったんだ。それだけでも感謝してもらいたいくらいだね」
「ハッ、押しつけがましい。だれがこんな仕事したいものか」
「じゃあ、好きなようにしろ。金を払わん限り、あの部屋には住ません。あと一か月路頭に迷い、段ボールにでもくるまって人の慈悲にでも縋るがいい」
「何を…!?」
 早くもここに来た事を後悔し始めていた。そもそもガーナーの言うなりになったこと自体が間違いだったのだと気付く。しかし、今になって昨日はアルコールの所為で判断力が鈍っていたのだと言ってもそれはただの言い訳に過ぎない。それに先程などはアパートの前でガーナーに対し、受けて立つ旨を伝えたのだ。今更前言を撤回することなどできない。それに、ここで怯めばブラウンの言った「チキン野郎」という言葉を肯定することにもなりかねない。
 まんまと親子二人がかりで心理戦で絡めとられていることにも気付かず、アーサーはその条件を飲むことにしたのだった。


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Stories 〜before Reiji〜 act6

►2008/05/08 12:00 

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 始めは一ノ橋さんの言っていることが理解できなくて、間抜けな返事をしてしまったような気がする。信じられない思いで訊き返すと、一ノ橋さんは『冗談でも何でもないよ』と言う。そしてその目を見れば彼が本気だということは十分に理解できた。一ノ橋さんは僕に圭吾のパートナーになって欲しいと言った。
『君と圭吾が知り合ったのも何かの縁かもしれない。僕にクラシックの道を諦めさせた君が、僕がプロデュースを務めるアーティストとこんなタイミングで知り合ったのは何か運命を感じるね』
 運命。そんなものがあるなら、僕と圭吾がその後ああなってしまったことも運命だったんだろうか。起きてしまった出来事も運命だったというなら、それは必然であったということなのだろうか。それがどんな運命でも、僕にはそれを受け入れる義務があったとでもいうのだろうか。
 とにかくその時の僕は自分の身に降りかかった重大事にパニックになるばかりで、その場ですぐに決断を下すことなどできなかった。「少し待って頂けませんか?」と返すだけで精一杯だった。
『急がないでいいよ、と言いたいところだけどね』
 と、一ノ橋さんは言う。
『あまり時間の余裕はないんだ。君に与えられる時間は三日だけだ。その間に決断してほしい』
 こんな重大事を決めるにはあまりにも短い時間だった。そもそも自分にそんなことが出来るとは思えなかったが、是非僕にと見込んで話をしてくれた以上、この場で簡単に断ることなどできなかったのだ。「わかりました」と僕は答えて、その日はお開きになった。僕はこのことを圭吾に相談したかったけど、圭吾の連絡先を僕は知らなかった。


 けれど圭吾に会って話がしたいという僕の願いが通じたのか、その次の日再びコンビニに圭吾が姿を現した。僕は圭吾に会えたのが嬉しくて、前日一ノ橋さんに提案されたことを話して聞かせた。喜んでくれるかと少しだけ期待していた僕の浅はかな想いは簡単に打ち砕かれた。
『いちはっさんに言われたからって調子のってんじゃねー』
 腹立たしげにそう言われて僕の気持ちはみるみる沈んだ。嬉しかったのは圭吾が僕に会いに来てくれたことで、一ノ橋さんの提案が嬉しかったからではない。しかしその勘違いを正すチャンスは訪れなかった。
『てめーにミュージシャンなんかやれるはずねーだろ。昔クラシックか何だかやって有名だったかもしれねぇけどよ。そんくらいの気分でホイホイやられちゃこっちが迷惑なんだよ』
 僕は一ノ橋さんに必要とされたことで思いあがっていたのかもしれない。よく考えれば、僕にそんなことができるはずがないことくらいすぐにわかったはずなのに。僕は圭吾の言葉に、自分の傲慢さを指摘された気がして恥ずかしくなった。
 誰かに必要とされたことない僕は、一ノ橋さんに是非にと言われて困惑もしていたけど嬉しかったのだ。僕にできることなら力になりたいと思った。それも僕の自惚れだったんだと気づく。
 それに圭吾が嫌がるなら、僕はそれを断ろうと思った。
 「ごめん…」と僕が言うと、圭吾は、
『あやまんなよ。わかったんならもういい』
 決まり悪そうにそう言って、圭吾は帰って行った。
 僕の気持ちはすっかり決まっていて、一ノ橋さんのお話は断ろうと思っていたけれど、せっかく僕を誘ってくださった一ノ橋さんにそれを言うのがひどく躊躇われて、結局電話をしたのは期限ぎりぎりの三日後になってしまった。
 僕は電話で「やっぱりできません」とお断りした。やはり僕にはミュージシャンなんてできるはずもない、荷が勝ちすぎるとできるだけ丁寧にその理由を話した。一ノ橋さんはわかったよ、と少し残念そうに言って、でも最後だからともう一度会えないかと言ってきた。僕は話を断ってしまった引け目から、それを受け入れた。その電話をした翌々日に会うことになった、その日にあんなことになるなんて僕は思いもしなかったんだった。


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Je te veux 〜after Arthur〜 act5

►2008/05/07 20:00 

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 アーサーがガーナーの勧める仕事に従事することを選んだのは、更生施設に入りたくないというそれだけの理由だった。ガーナーの提示する二つの選択肢に従わなければならないという屈辱は拭えないが、確かに今の自分の姿が酷いのは認めるしかない事実であり、このままではそれこそ更生施設に入っている輩と同じレベルに成り下がってしまうのではないかという恐怖もあった。あのままのたれ死ぬよりも、自我を失うことだけは耐えられないという妙なプライドがアーサーを奮い立たせた。
 まずガーナーに連れられた店で髪を短く刈られ、黒く染められた。なぜ仕事をするのにそこまでしなければならいのか、アーサーには何の説明もない。要するに、アーサー・ギルフォードであることを知られないようにという配慮らしいが、どうしてそんな配慮が必要なのかアーサーには見当もつかない。そもそもどういった職種の仕事に就かされるのか、それすらも説明を受けていないアーサーにはわけも分からずただガーナーのすることに身を委ねるしかない。
 心の動揺を悟られることは貴族としての恥であると幼いころから叩きこまれてきたアーサーは、これから一体自分はどうなってしまうのだろうという内心の不安を表に出さぬように苦心した。
 そうして次の日、アーサーはろくな準備もさせてもらえないまま、ニューヨークへと飛ばされてしまうのだった。


 初めて体験するイエローキャブは大の大人が二人で乗るには窮屈だった。
 当然アーサーは、ウォール街辺りのビルへと向かっているものだと思っていた。それにしては自分の格好はあまりにもラフすぎて世界の経済の中心地にはそぐわないと内心不安を感じていた。しかし、二人が向かったのはそんなオフィスビルが立ち並ぶ中心地ではなかった。
 それは以前レイが住んでいたスラムによく似ていた。近年、ニューヨークのスラムの治安は驚くほど改善されているとは聞いていたが、レイをそんなところに住まわせておくのは反対だった。レイほどの美貌の人間があんなところをうろうろして血迷った男に襲われないかと心配で仕方がなかった。再会したときのあの地味な格好は、そうした犯罪の標的にされないようにというカモフラージュだったのだろうが、いずれにせよ、そこが完全に安全な場所ではないのは確かなのだ。
 アーサーから見れば到底人が住むような環境ではない住宅地の一角で、ガーナーがキャブを停めた。それまで一言も言葉を発することのなかったアーサーがさすがに呆れて口を開いた。
「おい、まさかここで一か月暮せというわけじゃないだろうな?」
「ご明察、あんたにはここで一か月生活してもらう。…ここはうちの親父の管理してるアパートメントなんだ。来いよ」
 予想はしていたが信じたくはない事実に、それまで抑えていた怒りが沸々と沸き上がる。それにガーナーが指さすアパートはあまりにも粗末なもので、レイが住んでいたアパートの室内を思い出せば、その内部は容易に想像が出来た。
「ふざけるな!私にこんな汚らしいところで一か月も暮せというのか!?冗談も大概にしろ!!」
 癇癪を起したようにヒステリックに叫ぶアーサーの声が周辺に響き渡る。怪訝そうに見つめてくる黒人たちは、どう考えてもまっとうな人間には見えない。
「じゃあ今からでも病院送りにしてやってもいいんだぜ?それともまた酒浸りの生活に戻るか?」
「ああ、その方がよっぽどましだ!」
 生温い、あのどんよりとした部屋で身も心も腐っていくのを待つ日々。それでももう構わない。放っておいてくれと言いたかった。
 しかし、次にガーナーの発した言葉に、アーサーの闘争心に火が付けられた。
「所詮あんたは変化を怖れる腰抜けだ。だから会社一つ守れない。恋人にだって逃げられる」
「…何だと?」
「親族経営なんて古い因習に捉われているから、ダメになる。見せかけだけのトップを据えてなんとか誤魔化そうとしても才覚のない経営者ではやはりどうにもならなくなった。人気に溺れて首を切るのが遅れたせいで、今年度はついに赤字決算か?」
「………っ!!」
 誰の事を指しているのかは明らかだった。しかもガーナーの言葉はアーサーが全て自覚していたことでもあったから、尚更屈辱的だった。アーサーには否定の余地もない、それが余計に腹立たしかった。
 襟首を掴まれてもガーナーは顔色一つ変えない。自分には相手を畏怖させる力さえなくなったのかと絶望的な気分になった。
 誰もが自分に頭を下げ、媚びへつらっていた。それも、『IBC』の頂点に立つ人間という威光あってこそだった。それを失ってしまった今、英国貴族という生まれもこのアメリカのスラムにあっては何の価値もない。この男はそれを試したいのだろう。地位も名誉も、アーサー・ギルフォードという名前さえ捨てた人間が一人で生き残れるのかどうか。
「…後悔するな。この侮辱は倍にして返す」
 ガーナーから手を放し、アーサーはそう宣言する。それはガーナーの挑戦を受け入れるという宣言でもあった。


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