恐怖のバクテリア〜バクテリア王国へようこそ〜

御厨鈴音(みくりやれおん)が勝手に作り上げた恐れるにたらぬ王国。小説とも呼べない駄文ばかりですので、読むときっと後悔します。そんなの嫌だ、という方と18歳未満の方、BLという二文字に嫌悪を感じる方は今すぐお逃げ下さい。
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御厨 鈴音

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Stories 〜before Reiji〜 act1

►2008/05/03 12:00 

 需要があるかわかりませんが、レイちゃんの過去編スタートです。展開がダークになっていきますので、そういうのが苦手な方は注意してください。もし読んで不愉快になった方がいらっしゃったらごめんなさいというよりない…(´ロ`ill)
 それでもおkという方のみ、お進みください_(._.)_




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『お前、あのオヤジと寝ときゃあよかったんだよ』
 授賞式のバックステージでその言葉を投げつけられた時、僕はあまりの衝撃にその言葉の意味をしばらく理解することができなかった。鋭すぎる刃物で切りつけられた心は、その鋭すぎる切り口故にしばらく痛みを感じさせない。じわじわと流れ出す血に、僕はようやくその言葉の意味を知る。
『どうせどっかのお偉いさんにそのケツ掘らせて仕事もらってんだろうが。なんであの惣領とかいうおっさんにやらせなかったんだよ?』
 チッと忌々しそうに舌打ちをされて、僕はどう答えたのだろうか。
 圭吾の言葉は一言一句違わず覚えているのに、僕はその時自分が発した言葉を全くと言っていいほど覚えていなかった。
 こんな場所で…、とかそんなことを言ったのかもしれない。
 惣領氏がまだこの近くにいるかもしれないし、険悪な雰囲気を醸し出している僕たちの様子を舞台裏のスタッフ達が注視していたから。僕はひどく居たたまれない気分になって、そんな風なことを言った気がする。
 とにかく、その時僕が発した言葉は圭吾をますます怒らせる結果になり、圭吾は「薄汚いホモ野郎」と捨て台詞を吐いて一人で帰ってしまったんだった。
 一人残された僕は、周囲の人間の好奇と同情の視線に晒されてその場に立ちつくしかなかった。


 圭吾と僕が出会ったのは、その時から六年遡る。
 僕は目的もなく入った外語大学を卒業し、とりあえず英語の教師を目指していたけれど就職浪人してしまったフリーターで、その時23歳だった。圭吾はプロのミュージシャンを目指す、高校を卒業したばかりの18歳。すでにプロの道に片足を踏み入れていたところだったが、ユニットを組むはずだった男に逃げられてデビューの話が頓挫していた頃だった。
 音楽とは掛け離れた世界にいた僕が、なぜ彼と出会うことになったのか。
 それは運命の気まぐれと、偶然の折り重なった、まさに奇跡というしかない。
『何笑ってんの』
 僕は楽器屋さんのショーウィンドーに展示されていた美しいグランドピアノにうっとりと見とれていた。しかし笑っていたという自覚はなく、その言葉が自分にかけられたものだとしばらく気付けなかった。
『あんただよ、あんた。すんげー、キモいんだけど』
 二言目にそんなことを言われて、僕は思わずその声のする方を振り返った。
 そこには派手な金色の髪をした、鋭い眼の青年が立っていた。
 自分とは全く住む世界の違う、価値観の異なる人間だと察し、僕はそんな彼に本能的な恐怖を抱いて口を閉ざした。彼のような人間が僕なんかに声を掛けてきた理由も分からず、僕は足が竦むような畏怖を感じて動けなくなった。
『あんたヲタク?ピアノヲタとか聞いたことねーけど…。あんた、音楽やってんのか?』
 僕は咄嗟に声をだすことができず、首だけを動かした。音楽などやっていない。過去には、どうやらやっていたらしいが、その時の僕には小さい頃の記憶がほとんどなかったから、僕は首を横に振るしかなかった。
『へぇ〜、何、じゃあアレか、ピアノ萌え?うわ、マジできめぇ』
 彼はそう言って笑ったけど、その言葉に悪意がないのはわかった。しかし、ひどく居心地が悪くて、僕は早くこの場を立ち去ってしまいたいと願っていた。
 ピアノを見ていただけでどうしてこんなにも酷いことを言われなければならないのか。怒りというより恥ずかしさで、僕は消えてしまいたいと思った。
『物欲しそうにピアノ見てっからさ、弾けんのかと思った。まぁ、あんたじゃな…』
 そう言って彼は店の中へと消えていった。
 僕はその後、彼の言葉を反芻して頭を悩ませていた。
 …物欲しそう?僕が?
 確かに僕はピアノが弾けた。練習した記憶はなかったけれど、なぜか身体が覚えていた。でも、とりたててピアノという楽器に愛着があるわけではなかったし、クラシックを好んで聴く人間でもなかった。ただ、街中やテレビなどで美しい曲を聴くと指が疼くような瞬間があった。この曲を弾いてみたいと、思う時があった。そんな時は僕の中に、自分の知らない強い希求を感じてひどく戸惑う。それが何なのか考えようとすると、僕の頭は警告を発して、それ以上は深く考えてはいけないと知らせてくるのだ。
 僕はピアノが弾きたいのだろうか。
 先ほどの青年が投げかけた言葉がずっと頭に残って、なぜだか落ちつかなかった。


 …それが僕と宇佐美圭吾との出会いだった。
 もう会うこともないだろうと思っていたその青年と再び相まみえることになるのは、そのすぐ後だった。


〜To Be Continued…〜



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Stories 〜before Reiji〜 act2

►2008/05/04 12:00 

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 その頃僕はコンビニでアルバイトをしていた。その他にも空いた時間には家庭教師の仕事も入れてもらっていたので、贅沢をしないで生活するぶんには特に不自由はなかった。
 それにコンビニでのバイトは、廃棄のお弁当を貰えるというおまけがついていた。本来、期限の切れたお弁当を持ち帰ることは禁じられていたけれど、店長の目の届かないところでいつも僕はおすそ分けをもらっていた。食事の量が半端でなく多い僕にとってはコンビニでのバイトはとてもありがたい仕事だった。
 ある日僕は夜シフトの男の子が急に休みになってしまったということで、急に深夜帯の店番をすることになった。何度か穴埋めで深夜シフトに入ったことがあったので、僕は淡々とマニュアル通りの仕事をこなしていた。
 お客さんの顔を見ない僕が彼に気づいたのは、その派手な金髪のおかげだった。あの楽器屋さんの前で会った彼かもしれないと思ったけれど、あれから一週間も経っていたし彼が僕のような地味な人間を覚えているとは思えなかった。
 その頃僕はファッションにも興味がなくひどく地味な格好をしていて、その上レンズの厚い眼鏡をかけていたから、ヲタっぽいとよく人から言われていた。あまり自分から積極的に話しかけるタイプの人間ではなかったし、話しかけられても凡庸な答えしか返せないので、総じて暗い人間だと思われていたと思う。
 当然、僕は人の印象に深く残るタイプではなくて、だから彼が僕のことを覚えているはずがないと勝手に決めつけていた。
 ところが買い物カゴを手にレジにやってきた彼は、僕の顔を見るなり、「あっ」と声をもらしたのだった。
『あんたさ…、どっかで会ったよな?』
 そう問うてきた彼に僕はうん、と頷いた。
『ああ、どこだったっけ?クラブとかなはずないよな?どこだったっけ?』
 僕が楽器屋さんの前だというと、彼は完全に思い出してくれたみたいだった。
『そうだ、あの時のピアノヲタだ。へぇ〜、あんたここのコンビニで働いてんだな。今まで知らなかった』
 今日は先輩の家で飲み会をしていて、じゃんけんで負けた彼は足りなくなった酒の買い出しに使い走りに出されてしまったらしい。本来彼の住んでいる場所ではないこのコンビニで再び会うことができたのは偶然というよりない。その日僕が休んだ男の子の代わりにシフトに入っていなければ、彼に会うこともなかったのだから。
 気さくな彼はレジを打つ僕に色々と話しかけてきた。名前を聞かれたのもその会話のうちだった。
『なぁ、それなんて読むんだ?はぎ?おぎ?』
 あまり間違えられたことはなかったけど、たしかに「萩」と「荻」は似ている。僕が笑って「おぎくぼだよ」と言うと、彼は子供みたいにムッとした表情になって、『わらいやがったな!』とふくれた。本気で気分を害してしまったのかと思って僕が慌てて謝ると、彼はバツの悪い表情になって『んなマジであやまんなよ…』と、決まり悪そうにした。
 時折僕は会話のコツが掴めずに相手を困らせてしまうことが多々あった。今回も何かヘマをしたらしいと、僕が謝ると、彼は笑ってくれた。
『お前、変なヤツだな』
 つまらない奴、と言われたことはあっても、変な、と言われたことが僕としては新鮮で、なぜか僕は嬉しくなった。そんな僕に彼は呆れたように笑った。
『ホントにお前、なんか変だよな』
 彼は決して良い意味で言ったわけではなかったかもしれないけれど、僕は「つまらない奴」ではなく「変な奴」なんだと思ったら、少し嬉しかった。
 彼と話すのは少し怖かったけれど、普段誰かと会話をすることがあまりなかったので、気分が高揚していた。だから彼が去る時には少し寂しさを覚えた。
 僕は興奮して彼の名前さえ訊いていなかったことに気づき、そんな自分に絶望した。また彼に会える保証もない。どこかで再び会えるだろうか。しかし、その確率は極めて低いように思われて僕は内心ため息をもらしていた。
 ところがその彼との再会はその三日後に果たされた。
 怪訝そうな顔でコンビニに現れた彼は、突然こう言った。
『お前に会いたいって言ってる人がいんだよ』
 相変わらず乱暴な言葉でそう言う彼は、その言葉を僕に伝えることすら不本意そうだった。
 何で僕なんだろうと問うと、彼もその理由はわからないみたいだった。とにかく来いと言われて、その日のバイトの後、僕は何が何だかわからないまま彼に付いてスタジオに赴くことになったのだった。


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Stories 〜before Reiji〜 act3

►2008/05/05 12:00 

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 僕に会いたい人が居るというスタジオに向かう道すがら、僕はようやく彼の名前を知ることができた。
 彼の名前は宇佐美圭吾。僕と同じくらいの年齢だと思っていたら、18歳だというのでその大人びた外見にまず驚いた。そして彼がデビューを控えたボーカリストだという話にまた驚いた。そして今日は彼がお世話になっているという音楽関係の偉い人に会いに行くのだという。
『ちょっとした世話話でよ、お前の話したら、よくわかんねーけど興味津々でさ。とにかくいいから連れてこいって』
 あ〜あ、と大きなため息を吐かれて、僕は身の置き所がない。どうやら彼は僕をその人に会わせるのが嫌なようだった。電車に乗ってる最中もイライラと貧乏ゆすりをして、ずっとそっぽを向いていた。
 そんなに嫌なら行くのを止めたらいいのにと僕は思っていた。そもそも僕にはその人に会う理由がないのだし、彼が言うから付いてきただけで、その本人が嫌がっているのなら僕は彼の嫌がることをしたくないと思った。
 僕が「宇佐美君」と話しかけると、「ケイゴでいい」と素気なく言われた。
 僕は人に呼び掛ける時下の名前で呼びかけたことが無かったので、なんだか親しい仲になったみたいで嬉しかった。僕はドキドキしながら「圭吾」と呼び掛けると、僕の意思を伝えた。君が嫌なら僕は帰る、という意味のことを言うと圭吾は尚更怒ってしまった。
『ここまできて何言ってんだよ。今更そんなこと言ってんじゃねーよ』
 圭吾の言葉に僕はビクビクしながら、その後はもうこれ以上圭吾を怒らせないようにと押し黙るしかなかった。僕は圭吾のその様子から、相手は圭吾も逆らえないような偉い人で僕をそこに連れていくことは絶対命令なのだと推測した。なぜその偉い人が僕に会いたがっているのかは全く分からなかったけど、その人の気が済んだら早く帰りたいなと、そればかりを考えていた。


 想像していたよりこじんまりとしたビルの中にそのスタジオはあった。初めて足を踏み入れる未知の世界に僕は心臓を高鳴らせていた。エレベーターで五階まで上がって、僕はそこでしばらく一人で待つことになった。僕にとってはまるで異世界のようなその空間に、僕は落ち着かずキョロキョロしっぱなしだった。今思えば、何の変哲もないテナントビルのそっけもないフロアだったけど、その時の僕には何もかもが新鮮だった。
 しばらくして圭吾が男の人を連れて戻ってきた。もちろん僕はその人の顔を知らない。圭吾が「いちはっさん」と呼び掛けたその人は、本当は「一ノ橋」と書いて「いちのはし」という人だった。一ノ橋さんの紹介を受けて僕も名乗ると、なぜかその人は僕の名前を反芻し、「ふぅ〜ん」と興味深そうに唸った。まじまじと見つめられて、僕はもうすでに帰りたい気分になっていた。
『何だよ、いちはっさん。こいつがどうかしたのか?』
 圭吾の問いにも答えず、一ノ橋さんは髭の生えた顎に指を添えてじっと僕を見ていた。そんな耐えがたい時間を我慢すると、ようやく一ノ橋さんは口を開いた。
『君、もしかしなくても、あの「荻久保玲人」だよね?』
 僕はビクッと身体が痙攣したのを感じた。
 この人は知っているんだと思ったら、なぜか全身から気持ち悪い汗が滲んできて悪寒がした。
 僕自身が知らない過去をこの人は知っている。
 それはとてつもなく僕を不安にさせた。
『何だよそれ。こいつって有名人なわけ?』
 圭吾の言葉に、一ノ橋さんは二ヤリと笑う。
『神童と呼ばれた幻の天才ピアニストだよ。ある日ぱったりと消えてしまったけどね』
 へぇ〜、と関心しきりの圭吾の声にも僕は居たたまれない気分になった。僕が”そうだった”らしいことは何となく知ってはいた。でも僕にはその記憶が全くない。神童などと呼ばれても居心地の悪い気分になるだけだった。
『父親は世界的に活躍していた名指揮者の荻久保柊、母親はチャイコフスキー国際ピアノコンクールで入賞したこともあるピアニストの荻久保麻里。音楽一家に生まれたサラブレット。そしてその愛くるしい容姿から「鍵盤の天使」と呼ばれた』
 つらつらと読み上げられるそれは、まるで他人事のようなのに、僕をひどく不快にさせた。特に父や母のことを言われた時には、胃をゾクゾクと這いまわる不快感に吐き気すら催した。
 「やめてください」と僕は言った。もうそれ以上は耐えられなかった。どうしてそんなに詳しいのかとか、どうして僕がこんなところに来なければならなかったのかとか、そんな当然の疑問もその時は頭からふっ飛んでいた。
 そしてそんな事を言ってその場の空気を壊してしまった僕を、二人が凝視しているのがわかった。僕はただひたすらいたたまれなくて顔も上げられず、逃げるようにその場から立ち去ってしまった。建物から飛び出してしばらく歩いていると、僕は次第に落ち着きを取り戻して、何であんなことを言ってしまったんだろうとか、勝手に帰ってしまったことなどを後悔し始めた。戻って謝罪しようと来た道を振り返って、僕はその見知らぬ光景に途方に暮れた。
 …僕は完全に道に迷ってしまっていた。夢中で歩いているうちにどこか違うところに迷い込んでしまったらしい。しょうがなくその日は道行く人に最寄駅を教えてもらい自宅に帰るしかなかったのだった。


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Stories 〜before Reiji〜 act4

►2008/05/06 12:00 

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 その次の日もコンビニでのバイトが入っていた僕は、商品の陳列をしている最中に肩を叩かれ飛び上がるほど驚いた。
『バカ、そんなに驚くこたねーだろ』
 振り返った先にいたのは呆れたように眉をしかめた圭吾だった。
 昨日勝手に帰ったことをさぞかし不愉快に思っていたことだろうと心配していた僕は、再び彼がコンビニを訪れてくれたことが嬉しかった。
 圭吾は一ノ橋さんが謝っていたということを僕に伝え、一枚のメモをくれた。
『これ、いちはっさんのケー番な。気が向いたら電話ちょうだいってさ。二人きりで話したいことがあるんだと』
 僕なんかと何の話があるのだろうと訝る気持ちは当然だった。昨日のような話題になるのは嫌で、僕は内心電話なんかかけたくないと思ってしまった。でも僕はこのメモを押し返したら圭吾がまた怒ってしまう気がして黙ってその紙切れを受け取った。
 圭吾は「何でオレが使いっぱなんかしなきゃなんねぇんだ」とぶつぶつ言って、用事が済むとすぐさま帰ってしまった。
 僕はその紙切れ一枚の扱いにしばらく迷った。本音を言えば、電話などかけたくはなかった。一ノ橋さん本人は決して悪い人ではないのだろうけど、僕の記憶にない僕の過去を知る彼は僕にとって脅威だった。またあんな気分の悪い思いをするのかと思うと、紙切れをくずかごに入れようとする手が伸びる。しかし、電話をしなかったことでまた圭吾の機嫌を損ねることになったらと思うと我慢してでも彼に連絡を取ってみようかという気になった。
 僕は緊張に震える手でメモに書かれた番号をプッシュした。


 一ノ橋さんとは後日、二人きりで会うことになった。それもすごく嫌だったけど、電話では話せないからと言いくるめられて、僕は一ノ橋さんの言う通りに会うことにした。
 一ノ橋さんに連れられてきたお店は高級なフランス料理店で、僕はあまりにも店の雰囲気にそぐわない格好をしてきてしまったことを後悔した。事前に何も言ってくれなかった一ノ橋さんを恨んでももう遅い。「そんなに堅苦しい店じゃないから大丈夫だよ」と言われて僕は渋々したがった。
 料理を頂きながら、僕は一ノ橋さんのお話に耳を傾けることになった。
『やはり君は荻久保玲人くんだね。そんな粗末な服を着ているから別人かと思ったけど、マナーがしっかりしてる。メニューのフランス語も理解していたね』
 それは僕が外語大で仏語を履修していただけで読むくらいならできると説明しても、彼を誤魔化すことはできなかった。
『君がなぜ音楽から遠ざかったのか、なぜ今もまたそこまで避けようとするのか僕は知らないけどね。僕の話を聞いてもらえないだろうか』
 そう言って一ノ橋さんは自らの過去を語り出した。
 その頃、一ノ橋さんは国立の音大に通っていた学生で周囲からも将来を期待されるピアニストだった。国内での賞もいくつか取っていたし、海外のコンクールにも出場経験のある優秀な学生だったらしい。しかし本人は自らの才能の限界に気づき始めていたという。これ以上はもう自分は伸びることはないと感じ始めていたそんなある時、若干8歳でオーケストラと共演した天才少年の話が耳に入ってきたという。
『最初はもちろん、どうせ英才教育で仕込まれた演奏マシンだろうと端から思っていたよ』
 と一ノ橋さんは言う。しかし、友人からチケットを譲られ、冷やかしに見に行ったそのコンサートで一ノ橋さんは人生が変わってしまったという。
『あの少年の音が僕を決意させた。僕が潔くピアノの道から退くきっかけを与えてくれたんだ』
 一ノ橋さんのその言葉には何の含みもなく、それだけに僕は何だか申し訳ないような気分になった。コンサートのことも何もかも僕には記憶になかったけれど、僕の記憶にない僕の所為でそんな重大な決心をさせてしまったことに恐縮するばかりだった。
 僕には10歳以前の記憶がない。頭を強く打ったせいだという説明以外は、なぜ頭を強打するに至ったかということすら僕は知らない。思い出そうと努力することは僕にとってひどく苦痛で、それをしてはいけないんだと本能的に悟っていた。
 気づいたときには父は亡くなっていて、母は自室に引きこもるようになっていた。だから祖父の代から荻久保の家を世話してくれていた梁田さんだけが僕の話相手だった。実質、養育放棄されてしまった僕を世話してくれたのも梁田さんで、彼は僕が母親の愛情を再び得るために色々尽力してくれた。ピアノを弾いてはいけないというのもその一つで、そもそも記憶を失った後の僕はピアノにそんなに興味がなかったからそれにも大人しくしたがった。結局僕が母から顧みられることはなく、同じ家に暮していても僕は母の姿を見たことはなかった。
 だから、僕が母から疎まれる原因になったのはピアノの所為なのだと思っていた。ピアノを弾かなければ母からの情を得られると信じていたあの頃の記憶がよみがえって、僕は苦い気分になった。
 僕が有名になってしまったから母から嫌われてしまったんだろうかとか、記憶を失くした所為で嫌われてしまったんだろうかとか色々考えてみたけれど、結局どんな努力をしてみても母が僕に愛情を注いでくれる日は来なかった。


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Stories 〜before Reiji〜 act5

►2008/05/07 12:00 

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 僕は母から愛を得るために優秀であろうと努力した。スポーツはまるで駄目だったけれど、勉強だけは努力で何とかなることなら僕はその労力を惜しまなかった。ビン底眼鏡をかけたその風貌から僕は「ガリ勉」とあだ名されることが多かった。みんなは僕がなぜそんなに必死なのか分からないから、無邪気にそう呼んでいた。学生時代はただひたすらそんな風に空費されていったように思う。
 ただ一度だけ高校時代に、僕は図書室帰りに通った音楽室の前で夕陽に染まったグランドピアノに恋をした。オレンジ色の光を照り返す、美しい造形をしたそれに僕は目を奪われた。僕は引き寄せられるようにピアノに近づき、誰もいないのをいいことに蓋を開けて、その白と黒の鍵盤に指を滑らせた。
 僕の指は確かにその感覚を覚えていた。記憶を失くして以来、触れたことすらなかったそれを僕はなぜか覚えていたのだ。メロディにもならぬ旋律を僕はひたすら奏で、それが指慣らしのソルフェージュの一部であることもその時の僕は気付いていなかった。
 『おい』と声を掛けられて僕は正気に戻った。音楽室の入口には人が立っていた。逆光で誰かは分からなかったけど、男子生徒であることはわかった。
『お前、Aクラスの荻久保だよな?』
 訝しげに問われた僕は恐る恐る頷いた。てっきり、勝手にピアノに触れていたことを咎められるものと思っていた僕は次の言葉で緊張が緩んだ。
『へぇ〜、お前ピアノ弾けるんだな』
 すげぇな、と心底関心したように言われてなぜか僕は嬉しくなった。ピアノを弾くことは禁忌だと思い込んでいた僕は、それを褒められたことになぜかものすごく安心を覚えたのだ。
 そしてハハッと笑った後、彼は僕に言った。
『何でお前笑ってんだ?』と。
 僕はどうやら無意識に笑っていたらしかった。覚えている限り、僕が意識して笑ったことなどほとんどなかったことだったから、僕はとても驚いた。一人でピアノを弾きながら笑っていた自分が恥ずかしくて、僕は帰ろうとした。すると、彼は僕を引き留めて『もう一曲弾いてよ』とリクエストしてきた。困惑した僕が曲なんてわからないと言うと、彼も食い下がって『そんなわけないだろ、あんなに弾けてたじゃん』と言う。僕は困って、何を弾いたら彼は満足するだろうかと頭を悩ませた。
 その時、校舎内に生徒の下校を促す放送が流れた。女子生徒の声と共に流れてきた旋律は、夕暮れの音楽室にひどくマッチしていた。僕はその曲を耳で聞いて覚え、鍵盤にのせた。今思えば、その曲はシューマンの「トロイメライ」。哀愁を誘うその美しい曲を僕の指は覚えていた。
 その日から僕は毎日図書室で放課後を過ごし、吹奏楽部が音楽室を使わない木曜日には勝手にピアノを弾いた。そしてあの彼も時々やってきて僕のピアノを聴いてくれた。彼は同級生でクラスの違う僕とは廊下ですれ違うくらいの接点しかなかったけど、この二人きりで音楽室で過ごす時間はやけに濃厚だった。言葉を交わさなくても、彼がここで心の緊張を解いているのがわかっていたから、それが僕には嬉しかった。僕にも彼にも家に帰りたくない理由があった。彼の顔にいつも傷があったのはわかっていたけど、僕はそれについて問うつもりもなかった。僕は僕で、家に帰っても気詰まりなだけで出来る限り家の外にいたくて、図書室や区営の図書館などで時間を潰す毎日だった。僕等はまったく正反対のようだったけど、抱えるものはとてもよく似ていた。
 しかしそんなある日、僕らの関係は突然終わりを告げる。
 戯れに彼が僕の眼鏡を取った時、彼は奇妙な反応を見せた。先ほどまで笑っていた顔が凍り付き、僕の顔を見たまま動かなくなってしまった。何が起こったのか分からなくて、僕はどうしたの?と声をかけたけれど、彼は表情を強張らせたまま何も言わず去ってしまった。その日から彼は音楽室に姿を見せなくなった。廊下ですれ違っても視線を逸らされるのに、時折遠くから彼の視線を感じた。前みたいに声を掛けてほしいと思ったけど、そんなことを言う勇気は僕にはなくて、その内音楽室はコンクールを控えた吹奏楽部が毎日使用するようになってしまったため、僕はもうピアノを弾くことができなくなってしまった。
 どうして彼は音楽室に来なくなってしまったんだろうと僕は頭を悩ませた。僕は何か失敗してしまったんだろうか。しばらくはひどく落ち込んで、彼とピアノの思い出はワンセットになってしまっていたために、僕は少しピアノが嫌いになった。
 ピアノのことを思い出すたび、僕はその時のトラウマがよみがえり憂鬱な気分になるのだ。


 一ノ橋さんの話は確かに僕のことを言ってるんだろうと思ったけど、身に覚えのないことで褒められるのは居心地悪かった。せっかくの美味しそうな料理にもほとんど手が付けられないまま食事を終えると、一ノ橋さんはビックリするようなことを僕に言ってきた。
『君、ミュージシャンになる気ない?』と。


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Stories 〜before Reiji〜 act6

►2008/05/08 12:00 

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 始めは一ノ橋さんの言っていることが理解できなくて、間抜けな返事をしてしまったような気がする。信じられない思いで訊き返すと、一ノ橋さんは『冗談でも何でもないよ』と言う。そしてその目を見れば彼が本気だということは十分に理解できた。一ノ橋さんは僕に圭吾のパートナーになって欲しいと言った。
『君と圭吾が知り合ったのも何かの縁かもしれない。僕にクラシックの道を諦めさせた君が、僕がプロデュースを務めるアーティストとこんなタイミングで知り合ったのは何か運命を感じるね』
 運命。そんなものがあるなら、僕と圭吾がその後ああなってしまったことも運命だったんだろうか。起きてしまった出来事も運命だったというなら、それは必然であったということなのだろうか。それがどんな運命でも、僕にはそれを受け入れる義務があったとでもいうのだろうか。
 とにかくその時の僕は自分の身に降りかかった重大事にパニックになるばかりで、その場ですぐに決断を下すことなどできなかった。「少し待って頂けませんか?」と返すだけで精一杯だった。
『急がないでいいよ、と言いたいところだけどね』
 と、一ノ橋さんは言う。
『あまり時間の余裕はないんだ。君に与えられる時間は三日だけだ。その間に決断してほしい』
 こんな重大事を決めるにはあまりにも短い時間だった。そもそも自分にそんなことが出来るとは思えなかったが、是非僕にと見込んで話をしてくれた以上、この場で簡単に断ることなどできなかったのだ。「わかりました」と僕は答えて、その日はお開きになった。僕はこのことを圭吾に相談したかったけど、圭吾の連絡先を僕は知らなかった。


 けれど圭吾に会って話がしたいという僕の願いが通じたのか、その次の日再びコンビニに圭吾が姿を現した。僕は圭吾に会えたのが嬉しくて、前日一ノ橋さんに提案されたことを話して聞かせた。喜んでくれるかと少しだけ期待していた僕の浅はかな想いは簡単に打ち砕かれた。
『いちはっさんに言われたからって調子のってんじゃねー』
 腹立たしげにそう言われて僕の気持ちはみるみる沈んだ。嬉しかったのは圭吾が僕に会いに来てくれたことで、一ノ橋さんの提案が嬉しかったからではない。しかしその勘違いを正すチャンスは訪れなかった。
『てめーにミュージシャンなんかやれるはずねーだろ。昔クラシックか何だかやって有名だったかもしれねぇけどよ。そんくらいの気分でホイホイやられちゃこっちが迷惑なんだよ』
 僕は一ノ橋さんに必要とされたことで思いあがっていたのかもしれない。よく考えれば、僕にそんなことができるはずがないことくらいすぐにわかったはずなのに。僕は圭吾の言葉に、自分の傲慢さを指摘された気がして恥ずかしくなった。
 誰かに必要とされたことない僕は、一ノ橋さんに是非にと言われて困惑もしていたけど嬉しかったのだ。僕にできることなら力になりたいと思った。それも僕の自惚れだったんだと気づく。
 それに圭吾が嫌がるなら、僕はそれを断ろうと思った。
 「ごめん…」と僕が言うと、圭吾は、
『あやまんなよ。わかったんならもういい』
 決まり悪そうにそう言って、圭吾は帰って行った。
 僕の気持ちはすっかり決まっていて、一ノ橋さんのお話は断ろうと思っていたけれど、せっかく僕を誘ってくださった一ノ橋さんにそれを言うのがひどく躊躇われて、結局電話をしたのは期限ぎりぎりの三日後になってしまった。
 僕は電話で「やっぱりできません」とお断りした。やはり僕にはミュージシャンなんてできるはずもない、荷が勝ちすぎるとできるだけ丁寧にその理由を話した。一ノ橋さんはわかったよ、と少し残念そうに言って、でも最後だからともう一度会えないかと言ってきた。僕は話を断ってしまった引け目から、それを受け入れた。その電話をした翌々日に会うことになった、その日にあんなことになるなんて僕は思いもしなかったんだった。


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Stories 〜before Reiji〜 act7

►2008/05/14 12:00 

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 一ノ橋さんと約束した喫茶店に僕は予定よりも早く着いてしまい、僕はひどく落ち着かない気分で予定までの時間を過ごさなければならなかった。
 一ノ橋さんが来たらまず頭を下げて謝ろうと思った。もしかしかしたら僕がこの話を断ったことを一ノ橋さんは怒っているかもしれない。せっかくあんなに熱心に誘って下さったのに、と思うと胸が痛んだ。でも僕にあんな華やかな世界が相応しいとは思えなかったし、何より圭吾にあんなに怒って反対されたら僕は断るしかなかった。
 圭吾に怒られるのはいやだった。初対面の時からそれはずっと僕の根底にあって、それから六年間それは僕の思考を左右する判断基準になるのだけれど、それがどういう感情によるものなのか僕は結局あの時まで気づくことはなかったんだった。そしてそれが僕たちの関係を破綻させる原因の一つになるということもその時の僕には知る由もなかった。


 一ノ橋さんは少し遅れてやってきたけれど、別段僕に対して怒っている様子もなく、むしろニコニコと笑顔を振りまいてくれた。おかげで僕は必要以上に緊張せずに謝罪の言葉を口にすることができた。
 僕が謝ると、一ノ橋さんは『悪いと思うなら、これから少し付き合ってもらえるかな?』と言った。僕は断ることもできず「はい」と頷いた。夕食にはまだ早い時間だったけどまたどこかに食べに行くのだとばかり思っていたら、連れて行かれた先は「フォトスタジオ」。つまり、写真を撮るところだった。一ノ橋さんの意図が読めずに、ただ僕は彼の後ろについていくしかなかった。
 そこで僕はカメラマンだという男性とスタイリストの女性を紹介された。周りにもスタッフの人達がたくさんいて、その誰もが僕らに訝しげな遠慮のない視線を向けてきた。僕自身、なぜこんな所にいるのかさっぱり分かっていなかったから、そんな突き刺さるような視線が痛くて一刻も早く一ノ橋さんが用事を済ませてくれないかとそればかりを考えていた。特にカメラマンの人などは、僕を頭の先からつま先まで舐めるように見た後、はっきりと「使い物にならない」と断言した。僕はそれが何に対しての評価なのかも分からないながらも、自分に対して下された不合格宣言に少なからず傷付いていた。
 そんなカメラマンに対して一ノ橋さんは『まぁまぁ』と笑って、僕に眼鏡を外すように言った。小さい頃から僕は梁田さんから「眼鏡は人前で外さないように」と言われていたので、かなり躊躇いがあった。だけどそうしないことには僕はここから帰れそうにもなかったので、仕方なく僕は眼鏡を外して見せた。
 今思えば、幼い頃の僕を知っている一ノ橋さんには僕の容姿が人並みではないことにある程度勝算を持っていたんだと思う。でなければこの日スタジオを貸し切り、スタッフを揃えて準備していたのは全くの無駄手間になりかねない。
 僕が眼鏡を外すと、周囲の態度が驚くほど一変した。眼鏡を外すように指示した一ノ橋さんでさえ『これほどとはね…』と絶句していた。僕はそんな態度の変化に戸惑い、注目されることになれない僕は今まで感じたこともない周囲の熱っぽい視線に身体を丸めていることしかできなかった。
 僕は酷い乱視で眼鏡をかけていないと自分の顔すらまともに見ることもできない。だから、自分の容姿がそれほど優れていると自覚したこともなかった。これも最近気付いたことだけれど、梁田さんが僕に人前で絶対に眼鏡を外すなと言ったのは、僕のこの幼い少女めいた顔立ちに邪な感情を抱く人間が現れないとも限らないと思ったからなのだろう。実際、顔の半分くらいが隠れてしまうビン底眼鏡をかけている時はそういった誘いの声を掛けられることは一切なかったのに、コンタクトに変えてからというものの、食事に誘われたり、休日の予定を聞かれたり、中にはあからさまにセクシャルな誘いをかけてくる人間も現れるようになった。それはいずれも男性で、僕の場合、女性に訴えかける魅力というのがほとんど皆無のようだった。
 とにかくその日は服を着替えさせられ、メイクを施され、汗が噴き出そうなほどの熱量のライトを当てられ、思わず目を瞑ってしまいそうなフラッシュを浴びて、クタクタになって一日を終えたのだった。
 それが後日どのようなことになるのか、疲れ果てた僕にはその時想像もできなかったのだけれど。


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Stories 〜before Reiji〜 act8

►2008/05/15 12:00 

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 フォトスタジオで写真をたくさん撮られてしまった日から二週間ほどが過ぎていた。
 あれから一度も圭吾はコンビニに来てくれなくなって、僕はとうとう彼に嫌われてしまったんだと思っていた。一ノ橋さんに「大事な話がある」と連絡があって呼び出されたけど、僕の心は憂鬱だった。また僕には不釣り合いな場所に連れ出されるんじゃないかとビクビクしながら以前待ち合わせした喫茶店に足を運んだ。
 そこにはすでに一ノ橋さんがいて、しかもその隣に圭吾も居たのには驚いた。圭吾は相変わらず不機嫌そうに口をへの字に歪めて、そっぽを向いたまま僕を見ようともしない。やっぱり僕は圭吾に嫌われてしまったんだと、ひどく落ち込んだ。
『コイツのことは気にしないで』
 圭吾の態度にシュンとなった僕に、一ノ橋さんがそう言って気遣ってくれた。でも僕は、圭吾の不機嫌の原因は僕にあると分かっていたので「帰ります」と言って席を立った。圭吾のあんな表情はいたたまれない。それが僕の所為なのだとしたら尚更だった。
 しかし、立ち去ろうとした僕の手を一ノ橋さんに掴まれて『ちょっと待ちなさい』と引き留められた。
『これは君たちにとって大事な話なんだ』
 いつもにこやかだった一ノ橋さんの、少し怒ったような真剣な表情に僕は委縮して、再び席についた。一ノ橋さんの言った、「君たち」というのは僕と圭吾のことなのだろうかと僕は頭を悩ませた。圭吾とユニットを組む話は断ったはずなのにと、僕は一ノ橋さんの言葉を待った。
『荻久保くん、君には圭吾とコンビを組んでもらうことになった』
 その言葉に僕は言葉を失った。断ったのにどうして、と一ノ橋さんを見やると、先ほどとは打って変わって申し訳なさそうに彼は笑った。
『君にその意思がないことは承知しているけどね。しかし君のその才能と美貌をむざむざと放っておくことなど僕にはできない』
 勝手だと僕は言いたかった。僕は断った、それなのに僕のその意思は全く無視されてしまったのだ。
『どうせコイツが君に何か言ったんだろうけど、そんなことは気にしなくてもいい。このプロジェクトに君の存在が欠かせないんだ』
 どうか頼む、と一ノ橋さんに頭を下げられて僕は恐縮のあまりワタワタとしてしまい、「顔を上げてください」と泣きたい気分で言ったのだけれど。
 この時の僕は、その裏で蠢く大人たちの策略など知る由もなかったのだった。これも今になって気付いたことだけれど、僕という存在は低迷する音楽業界に即戦力となり得る人材だったのだろう。僕の両親のネームバリュー、そして僕の名前も、一ノ橋さんのようにクラシック音楽に通じる人間ならば一度は耳にしたことがあるだろうから。おそらくCDを買ってくれる人たちには僕の両親も、僕の過去の栄光などどうでもいいことで、つまりは僕が「音楽一家のサラブレッド」であることが宣伝材料になるのだ。そしてそれは全く無名の新人を売り出すよりもメディアに取り上げられやすく、効果的に知名度を上げる役目を果たす。そして僕が持つこの容姿もそれを引き立てる、絶好の役割をはたしていたのだろう。
 本人たちの意思などお構いなく、僕らのデビューが決まってしまったのはこういう裏があったのだと気づいたのは僕自身がプロデューサーという立場になってからのことだった。
 だから、圭吾がその時叫んだ、『オレはソロでやりたいんだ!!』という強い希望も、そんな大人たちの思惑にあっさりともみ消されてしまったのだった。
『お前一人でどうやってCD売っていくっていうんだ。この業界はそんなに甘いもんじゃないんだよ』
 一ノ橋さんのその時の言葉も、今にして思えば納得できないこともない。圭吾がどんなにボーカリストとしての才能を持っていたとしても、どんなにいい歌を歌ったとしても、必ずしも売れるとは限らない。そこには必ず売り出すための「宣伝」が必要で、そのためには莫大な費用がかかる。圭吾のような、ほとんど無名の新人を一から宣伝するよりも、僕のような「音楽一家のサラブレッド」という付加価値があるほうが、マスコミは勝手に宣伝してくれるのだ。
 しかし、その時一ノ橋さんが発した言葉が圭吾の心に深い劣等感と、僕への憎悪の種を植え付けたことは間違いない。そして、僕たちの間に最初の亀裂が入ったのはまさにその時だったんだろう。その亀裂はまだ目にも見えないほど小さなものでその時の僕には分からなかったけど、一度入ってしまった亀裂は時間を経て徐々に大きく、深くなっていく。
 一ノ橋さんの一見優しげに見えて、その実有無を言わさぬ強引さを持つ言葉に逆らえるほどの強い意志を持たない僕は、僕が辛うじて持っていた反意さえ押し流そうとするその流れに身を任せるしかなかったのだった。


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Stories 〜before Reiji〜 act9

►2008/05/16 12:00 

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 デビューが決まってからは怒濤の日々だった。コンビニを辞めた僕は、早速イメージチェンジをさせられた。眼鏡をコンタクトレンズに変えただけでも十分に変化はあったけど、髪型や服装まで指導されて僕はそれまでとはまるっきり別人みたいになった。
 それからは写真撮影や雑誌の取材、ラジオやテレビでのプロモーション、様々な会社への挨拶回りなど、分刻みのスケジュールに目が回りそうな忙しさだった。圭吾などはさらにそれに加えて楽曲の作詞もしていたんだから、もっと忙しかったと思う。
 そうしているうちに、圭吾が僕に対してきつく当たることは次第に無くなっていった。忙しいスケジュールを一緒にこなしているうちに不思議と連帯感が生まれたというのもあるし、一番大きな要因だったのは僕らのユニット名が圭吾の考えた『L-ing For』(エリングフォー)に決まったことかもしれない。
 「Looking for you」(君を探していた)という意味が込められたその名前は、こう言っては何だけど圭吾が考えたとは思えないほどロマンティックで僕も気に入っていた。後ほどそのタイトルで楽曲を作り、それは僕らの代表曲になった。
 『L-ing For』の名前は大人たちの予測通り、アッと言う間に世間に浸透し、僕等は一躍有名人になった。曲は新人にしては異例のヒットを飛ばし、年末のイベントには引っ張りだこだったものの、レコード大賞の最優秀新人賞だけは逃してしまった。しかしそれが逆に僕らの絆を深めた。いつか大賞を取れるようなアーティストになろう。それが二人の共通の目標になった。
 始めの頃は作曲は一ノ橋さんにお任せしていたけれど、僕も少しづつ楽曲作りに参加するようになっていた。そして僕が作曲した3rdシングルがヒットした時には、僕に楽曲作りを全て委ねると一ノ橋さんが言ってくれた。圭吾と相談して、僕等はデビュー当時のアイドル路線から少しづつ脱却してアーティストとしての道を本格的に歩んでいくことになる。


 アジアツアーの成功、アメリカでの公演決定。三年目の僕等は勢いを落とすことなく、絶好調だった。ついにその年にはレコード大賞の最優秀賞を受賞した。僕等はまさに人気の絶頂にあった。
 ずっとこのスピードで走っていけるのだと信じていた。毎日を全速力で走り抜けるような日々は、とても大変なことも多かったけど、充実していた。時々イライラさせることもあったけど、圭吾との仲も概ね良好だった。性格も価値観も違う二人だったけれど『L-ing For』というユニットが僕らを上手くまとめてくれていたと思う。
 そんな僕らに最初の陰りが差したのは、その三年目のことだった。ある音楽雑誌の批評に、圭吾の詩作への批判が掲載されたのだ。
「マンネリ化している」「安っぽい歌詞」「ありふれたフレーズを並べただけ」
 そして最後は「彼らの曲は早々に飽きられて風化していくだろう」と締めくくられていた。
 当然、圭吾は怖ろしい剣幕で激怒した。そしてこの記事を書いたのが、音楽業界の重鎮とも言われる人だったのが尚悪かった。メディアにもこの批評は広まり、そして圭吾の怖れ知らずの態度も話題になった。
 四年目、その年も僕等はレコード大賞を獲ったけれども去年とは勢いが全く違っていた。目に見えて僕らのCDの売り上げは減っていたし、巷の評判も悪くなった。
 その頃からだろうか、圭吾からどこか後ろ暗いものを感じるようになった。あまりよくない連中と付き合っているらしいという噂も耳にしていた。けれど僕にはどうすることもできなかった。圭吾のプライベートにまで口を挟めるほど僕は圭吾と深く関わっていなかったから。
 『L-ing For』の活動が減っていくなか、僕は他のアーティストへの楽曲提供やプロデュースなどを手掛けるようになった。周りからは『L-ing For』を解散したほうがいいのではと言われていたけど、僕はその意見には決して耳を貸さなかった。
 いつか圭吾は戻ってきてくれる、それまでは僕一人で頑張ろうと。
 それでもレコード大賞の三年連続受賞は間違いないだろうと言われていた。惣領氏にセクシャルな取引を持ちかけられたが、僕自身は賞にはこだわりを持っていなかったから、受賞できなくてもそれはそれで仕方無いことだと思っていた。
 しかし圭吾は違った。誰から聞いたのか分からないけど、惣領氏と僕の取引のことを知っていたのだ。
『お前、あのオヤジと寝ときゃあよかったんだよ』
 受賞を逃したバックステージでそんな事を言われて、あまりのショックに僕の心は麻痺してしまっていたのかもしれない。
『どうせどっかのお偉いさんにそのケツ掘らせて仕事もらってんだろうが。なんであの惣領とかいうおっさんにやらせなかったんだよ?』
 僕一人、絶えず仕事が舞い込む状況を圭吾はそういう風に解釈していたのだとわかり、悲しくて、悔しくて、辛かった。
 僕だけでも頑張らなければ『L-ing For』は駄目になってしまう…。そんな気概で頑張ってきた僕の心を否定されてしまった。


 そして、圭吾が覚せい剤所持で逮捕されたのはそのすぐ後のことだった…。


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Stories 〜before Reiji〜 act10

►2008/05/17 12:00 

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 年明け早々、無期限活動停止を発表する羽目になった『L-ing For』は、解散の秒読みと言われた。確かに周囲の人達からは何度もそうするように言われたけれど、僕は解散するつもりはなかった。
 圭吾と話し合いをして改悛の言葉を聞いた僕は彼を信じることにした。いつか圭吾が更生して、また音楽がやりたいと思った時に、彼が戻ってこれる居場所を残しておきたかった。友人として、パートナーとして僕にできることはそれくらいしかなかったから。
 僕はその間、『L-ing For』の名前が消えてしまわないように様々なことにチャレンジした。そんな時に出会ったのがユベールで、彼の誘いでショーモデルも経験させてもらった。音楽活動に拘らず、オファーがあれば何でもやった。
 しかしそれが更に圭吾の怒りをかうことになるとは思いもしなかった。


 圭吾の二度目の逮捕は僕をどん底まで突き落とした。一度目の逮捕からわずか半年足らず。僕に「クスリくらい簡単にやめられる」と豪語した圭吾は結局、その泥沼から抜け出すことができなかった。
 僕は一ノ橋さんと相談して、ついに『L-ing For』の解散を決意した。薬物犯罪は再犯性が高い、今立ち直っているように見えてもまた手を出すと言われ、僕は悲しかった。 
 圭吾を信じていたかった。しかし、本人の意思とは裏腹に薬物を欲する身体になってしまった圭吾は、もう容易には立ち直れない。そうなる前に圭吾を助けてあげたかった。それができなかった自分が悔しかった。
 今まで励ましてくれたファンのみんなに申し訳ない気持ちでいっぱいだったけど、これ以上心配をかけないためには解散という道を選ぶしかなかった。
 解散の旨は一ノ橋さんから圭吾に伝えられた。一ノ橋さんからは圭吾のリアクションを聞けなかったけど、おそらく圭吾も覚悟はしていただろうと思った。あれだけ周囲に迷惑をかけ、そして世間を騒がせてしまった以上、活動を続けることなどできない。圭吾の唯我独尊な性格は承知していたけれど、それくらいの常識や理性は残っているはずだと。
 圭吾が僕のマンションを訪ねて来た時、円満に解散するための話し合いができると少し安堵した。しかし、そんな僕の思惑は圭吾の姿を見た瞬間に裏切られた。
 よれたYシャツをだらしなく着崩し、強いアルコール臭を漂わせた圭吾はどう見ても正気ではなかった。濁った白目は血走り、灰色にくすんだ肌はいかにも不健康で、切れた唇からは血が滲んでいた。開口一番、聞くに堪えない汚い言葉で僕を罵った圭吾を僕は近所迷惑になるからと部屋に招き入れた。
『この淫乱ホモ野郎が。一ノ橋に何吹き込んだんだよ!!』
 「いちはっさん」と呼んで心から信頼していたはずの人を呼び捨てして、圭吾は狂気じみた目で僕を睨みつけた。何の事か分からずに僕が黙り込むと圭吾は僕の胸倉を掴んで言った。
『事務所クビだとよ。どうだ、すっきりしたかよ』
 もちろん僕はそんなことを一ノ橋さんにお願いしたことなどない。僕らの所属していた音楽プロダクションは業界大手で、社長の鹿島さんの影響力は大きい。一回目の逮捕の時、鹿島さんも温情を見せてくれたけれど二度目は許さなかったのだろう。鹿島さんは優しい人だけど、損得勘定にはシビアな面があった。業界全体を見据えて鹿島さんは圭吾を不利益になる人間と判断したのだろう。それはつまるところ、圭吾のミュージシャンとしての死を意味していた。
 そうなってしまっても仕方のないことを圭吾はしたのだ。それは僕が一ノ橋さんや鹿島さんに言うまでもなく当然の処置だ。でも圭吾の怒りは全て僕に向かっていた。なぜこんなにも圭吾に恨まれているのか、僕にはわからなかった。圭吾の怒りは、恐怖や戸惑いよりもただただ僕を悲しくさせた。
『ちゃらちゃらとテレビ出まくりやがって。そんなにチヤホヤされてぇのかよ!』
 圭吾が不在の間の活動をそんな風に言われて、僕はそれが失敗だったことを思い知った。テレビに出演した時も、割合僕に対して皆同情的だった。おそらく圭吾はそんなシーンを見ていたのだろう。想像するまでもなく、そんな空気は圭吾を居たたまれない思いにしたに違いなかった。
 苦しかったのは胸倉を掴まれている所為だけではなかった。圭吾のためを思ってしていたことが理解されていなかった、その齟齬が僕の胸を締め付けた。
 もうどんな言葉も圭吾の耳には届かない。僕の想い、僕の叫び。狂ってしまった圭吾の心には、もう何も伝わらない。圭吾をここまで狂わせてしまったのは、他ならぬ僕なのだから。
 掴まれていたシャツを思い切り突き放されて、僕はフローリングの上に叩きつけられた。圭吾はそんな僕を不気味な笑みを浮かべて見つめていた。
『オレがメチャクチャにしてやるよ、この薄汚いオカマ野郎』


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