恐怖のバクテリア〜バクテリア王国へようこそ〜

御厨鈴音(みくりやれおん)が勝手に作り上げた恐れるにたらぬ王国。小説とも呼べない駄文ばかりですので、読むときっと後悔します。そんなの嫌だ、という方と18歳未満の方、BLという二文字に嫌悪を感じる方は今すぐお逃げ下さい。
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御厨 鈴音

Author:御厨 鈴音
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Remain of Love act32

►2009/07/02 20:00 

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 久しぶりに顔を合わせるレイは、半年前ド・ゴール空港で別れた時に比べて若干ふっくらしたような印象を受けた。以前が痩せすぎだったので、ちょうど元に戻ったぐらいだろう。
 やはりメールの文面だけでは相手の健康状態まで察することはできない。この半年間、ずっとレイの様子が気にかかっていた。だから再会の喜びよりも、元気そうな姿を確認できて安堵したという方が大きかった。
「アーサー、ごめんね。急に会いに来たりして…。迷惑だったんじゃない?」
「いや、君がそんな風に言う必要はない。私も君に会いたかった」
 今度は誤解されないようにと真摯な目でアーサーがそう言うと、レイは驚いたように一瞬目を見開いて頬を赤く染めた。そんな自分の反応を恥じ入るかのように、レイは顔を背けてしまった。 
 レイがなぜそんな反応をするのか理解できないアーサーは、レイの手から荷物を取り上げて移動を促した。
「話は後でゆっくりしよう。人が集まり始めているからな」
 アーサーとレイの組み合わせは、どうしたって注目を集めてしまう。「う、うん」とぎこちなく返事をしたレイをエスコートして、アーサーはヒースロー空港を後にしたのだった。


 予約を入れておいたイタリアンレストランはアーサーのようなVIPのために、他の一般客とは別の入口が設けられており、彼らとは顔を合わせないよう配慮がしてあった。中はもちろん完全個室で、煩いパパラッチが決して中に入ることが出来ない。今日のような密会にはもってこいの場所であった。
 ディナーには少し早すぎる時間だったので、アーサーは色鮮やかなブルスケッタをつまみにワインを飲みながら、レイの話に耳を傾けていた。
 レイの複雑な過去については、出会ったばかりの頃に聞いたことがあった。その時は、そんな運命にさらされてきたレイを気の毒に思うと同時に、元凶である彼の両親やパートナーであった男に激しい憤りを感じたものだった。しかしそれがレイにどんな影響を与えることになったのかということまでは考えが及ばなかった。自らの恋情を持て余していたその当時のアーサーは、自分の欲求を通すことしか頭になく、レイの心情を考慮する余裕すらなかったのだった。
「今まで僕を雁字搦めにしていたトラウマが、全部吹き飛んだって感じ。…もちろん、僕が感じた恐怖までは消えることはないんだけど」
 比較的平穏な幼少時代を過ごしてきたアーサーには、レイが受けてきた虐待の苦痛を想像することは難しい。しかしそんなアーサーでも、記憶を封印してしまいたくなるほどの苦しみを与えた相手を許容するなど、どのような理由があろうとも、とてもできそうにない。レイからその事情や背景を聞いた今でも、そんな理由は言い訳にもならないと思うし、レイが受けた深い傷は癒されるものではないと思っている。
 しかし当のレイが、以前のどこか憂いを帯びた陰りを削げ落として、さっぱりとした表情をしているのを見ると、これでよかったのかもしれないとも思う。レイを長く苦しめてきたトラウマから彼を解放するにはきっかけが必要だった。父親の悔恨の手紙がそのきっかけになったのならば、アーサーが異論を唱える立場にはない。
「君がそれで納得しているのなら、私は何も言うことはない。君の慈悲深さは尊敬に値すると思う」
 そんなアーサーの言葉にはレイを傷つけた彼らへの隠しきれない怒りが込められていた。言葉とは裏腹に厳しい口調になったアーサーに、レイは戸惑ったようだった。
「…アーサー、怒ってる?」
「ああ、怒っているとも。君にではなく、君を傷つけた彼らに対してね。彼らは君に一生忘れ得ぬ傷を残した。君は彼らを赦したかもしれないが、私は決して彼らの罪を赦さない。絶対に」
 念を押すように最後の一言を付け加えて、アーサーは静かな怒りをそう表した。
 レイは人が善すぎるとアーサーは思う。自分ならば一度受けた屈辱や恨みは絶対に忘れない。そしていつか必ず、自分をそのような目にあわせた人間に復讐するだろう。
 レイの寛容さは彼の美徳の一つでもあるが、時折アーサーの理解の範疇を超える。今回のことも、何時ぞやの監禁の件も然りである。
 一人憤慨するアーサーをよそに、レイはそんな彼をクスリと笑った。
「何を笑っている?」
 誰のために怒っているのだと、アーサーがレイを睨みつけると、こらえきれない笑みを浮かべたレイが「ごめんね」と言った。
「馬鹿にしたわけじゃないんだ。嬉しいなって、思ったの」
「嬉しい?」
「そう。だって、僕のこと真剣に考えて、それで怒ってくれてるんでしょう?僕はあんまり怒ったりとかできないから、僕の代わりに怒ってくれて、それがすごく嬉しいんだ」
「………」
「…何か、変かな?」
 レイのあまりに気の抜けた言葉に、アーサーもすっかり毒気を抜かれてしまった。これ見よがしに溜息をついてみせ、アーサーは手にしていたワイングラスをテーブルに置いた。
「ごめん、何か気を悪くした?変なこと言って…」
「違う、そうじゃない」
 アーサーはレイの言葉を遮ると、緩くかぶりを振った。
「君には負けるよ。まったく、君の考えることは私の想像を超越している」
 だからこそ面白い。アーサーが苦笑を浮かべると、レイは「そうかな…?」と首をかしげている。
「アーサーの方が僕には新鮮だけど」
「私が?まさか」
 自分は古い考えを持つ人間だという自覚があったアーサーは、新鮮だと言われるほど斬新なことなどしてこなかったと思っている。
 しかしレイは「ううん」とアーサーの言葉を否定した。
「アーサーにはいつも気付かされることばかりだよ。僕が道を見失いかけていると、いつも君が目を覚まさせてくれる。僕の進むべき道を指し示してくれる。何度僕はそれに救われてきたかわからない。君にはすごく感謝しているんだよ?」
 真剣な面持ちでそんな風に言われて、アーサーは戸惑うしかない。仕事の際には躊躇いもなく采配をふるうアーサーも、レイに関しては迷うことばかりで失敗ばかりだという自覚があった。自分のエゴを通すばかりだったアーサーには、自分の行動をそう評価されることに大きな違和感があった。
「それは違う」
 と、否定したアーサーに、レイは首を振った。
「違わないよ。アーサーがいなかったら、僕は今ここに存在しなかったもの。奇しくも父と僕は同じ道をたどることになったけど、父と僕が違ったのは、僕にとっての君のような存在が父にはいなかったことだと思うんだ。頬っぺたを引っ叩いてでも『生きろ』と言ってくれる、そんな存在がね」
 半年前、無我夢中でしたことをそんな風に言われると我ながら気恥ずかしい。自分がしたことはそんな立派なものじゃない。あの時の行動の理由が不純なものであることは自分が一番よく理解していて、結果レイが立ち直ってくれたことは偶然に過ぎない。
 複雑な表情を浮かべるアーサーに、レイは微笑んで更に言葉を続けた。
「僕はね、父の最後の手紙を読んで思ったんだ。父のような後悔はしたくないって。愛する人に自分の気持ちも伝えられず後悔するような人生は送りたくない。そう思ったら居ても立ってもいられなくて、君に会いに来たんだ」
 どういう意味だ、とアーサーが息を飲むと緊張した面持ちのレイがこう言い放った。
「僕と、付き合ってください」


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Remain of Love act31

►2009/06/28 20:00 

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 レイが日本に帰国し、一か月のバカンスを終えたアーサーにも多忙な日々が待っていた。その間、アーサーのもとにはレイからのメールが何度か届いてやりとりをするくらいで、実際に会うことは一度もなかった。
 こんな付かず離れずな関係も悪くないのかもしれない。
 そんなことを思い始めたアーサーのもとに、突然レイからの電話が入った。レイの肉声を聞くのは空港で別れて以来半年ぶりで、その声を聞くだけでアーサーの胸はざわめいてしまう。
 しかし、いつもはメールで他愛もない内容の会話しかしていなかっただけに、何か問題事でも起きたのだろうかとにわかに緊張を帯びる。
『あ、アーサー?僕だけど…今、話せるかな?』
 その声からは緊急性をまったく感じられなかったが、アーサーは幾分緊張した声で応える。
「大丈夫だ。何かあったのか?」
『ううん。何もないんだけどさ。…いや、あったのかな。色々あってさ』
 今までアーサーが聞いたことがないほど、レイの声は穏やかに感じられた。どうやら悪い事ではなかったらしいことが察せられて、アーサーはとりあえず胸をなで下ろした。
「それは私が聞いても構わない話なのか?よかったら聞かせてくれないか?」
『うん、あのね。…今から会いに行っても構わない?』
 あまりに飛躍した展開に、アーサーは思わず絶句した。レイの話が突然予想外のところに飛んでしまうことがあるのはアーサーも重々理解していたが、今回のそれは全く推測ができない展開だった。
「今から…というのは今日中ということか?」
 かろうじてそう返したが、今レイが日本にいるならそれは不可能な話だった。日本からイギリスまでは直行便でも12時間かかる。すでに午後5時を過ぎている現在、今日中に到着することは不可能と言えた。
『うん、今日なんだけど…。いきなりでごめん。どうしても顔を見て話したくて…』
 嬉しいことを言うレイの背後で、聞きなれた言語が聞こえた気がした。アーサーの聞き間違えでなければ、レイの背後で交わされているのは英語だった。
「ちょっと待ってくれ。今、君は何処にいる?」
 まさかと思ったアーサーの疑念はレイにあっさり肯定された。
『実はもうロンドンにいるんだ。さっき着いたばかりで、まだ空港にいるんだけどね』
 暢気な口調でそう言ったレイを一言咎めたくなる。どうして、せめて出発する前に一言くれなかったのかと。事前にレイがこちらに来ると分かれば、それを迎えるアーサーとしても何かと準備が必要なのである。
『日本にハリケーンが近づいてて、ナリタに四時間も足止め食らっちゃったよ。もしかしたら飛ばないかもしれないって言われてたから、今日着いてよかった』
 安堵したようなレイの言葉に、かなりの危険を冒してまで渡航したことがうかがえた。そこまでしてまで、どうして自分になど会いに来たのだろうとアーサーは不思議でならない。今までの疎遠ぶりから考えても、どうにも違和感を拭えなかった。
 無言のアーサーにようやく相手の不穏な空気を読み取ったレイは、トーンの落ちた声で言った。
『ご、ごめん…。迷惑だったよね、急に押し掛けるみたいにしてさ。僕一人でハイになって馬鹿みたい…。やっぱり帰る。ごめんね』
「待ってくれ!」
 今にも会話を終わらせようとするレイを引き留めて、アーサーは幾分焦ったように言い訳の言葉を口にした。
「不愉快な気分になったのならすまない。心から謝罪する。…驚いたんだ。君から会いに来てくれるなんて思ってもみなかったからね」
 レイは納得したのかしないのか、うん、と曖昧な返事をする。
「私も君に会いたい。もちろん、そう思っているよ。ただあまりにも急で戸惑っている。わかってくれるだろう?」
『うん、そう、だよね』
 言葉を重ねれば重ねるほど、すれ違っていく気がした。直接顔を合わせて話せないのが、ひどくもどかしい。
 アーサーは隣室で仕事をしている秘書に声をかけた。
「今日はもう予定は入っていないはずだな?」
 すると秘書のガルストンは、何もかも心得ているかのように微笑を浮かべた。
「ええ、予定はございません。少々早いですが、今日はもうお帰りになってもかまいませんよ」
 平時であれば、こんなに早く帰宅することなど、まずない。いつも仕事が終わるのは日付を跨ぐ時間帯になるのが常だった。
 秘書の訳知り顔に、会話を全て聞かれていたのではという疑いが頭を掠めるが、携帯電話でやりとりを彼が知る由もない。
「悪いな。今日はこれで帰らせてもらう」
「はい、了解いたしました」
「あと、車を用意してくれ」
「すぐに手配します」
 これで問題はなくなった。電話の向こうで待たせているレイに、アーサーは出来る限り明るい声を出すことを務めて言った。
「これから空港まで迎えにいこう。君はそこで待っていてくれ」
『え、いいよ!場所教えてくれたら、そこに行くから』
 遠慮するようにそう言ったレイに、アーサーは苦笑する。
「駄目だ。君は方向音痴だからな。迷子になられると困る」
 アーサーの言葉に、心外だと言わんばかりに抗議するレイに笑みを誘われつつ、アーサーは続けた。
「空港の中で大人しく待っていてくれ。不審な人物にはついていかないように」
 子供扱いされたことにレイが不貞腐れて『もう、そんなことしないよ!』と不服を唱える。レイが頬をふくらませて怒っている姿を想像して、アーサーの笑みはますます深くなった。
 通話を切ったアーサーはコートを手に取ると、隣室の秘書に再び声をかけた。
「君も今日は早く切り上げるといい。私はこれで失礼する」
「はい。車はもう正面に待たせてあります」
「ああ、ありがとう」
「…ご幸運を」
 小さく呟くようにそう言われて、アーサーはギョッとして思わず秘書を振り返る。(よかったですね)と言わんばかりの優しい微笑を浮かべる男に、普段の冷徹さはない。
 …今度執務室に盗聴器が仕掛けられていないか調査してみる必要があると、本気でそう思ったアーサーであった。


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Remain of Love act30

►2009/06/25 20:00 

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 玲人は梁田氏から父親が埋葬されている場所を教わった。その際、大切なものだからと、数十冊にもおよぶ日記帳を手渡された。それは父親が学生の時から付けていたという日記だった。
『きっと玲人坊ちゃんの役に立つはずです』
 と手渡されたそれはかなりの重量があったが、父の心の闇を解くきっかけになるかもしれないと、墓地へ向かう道中、玲人はそれを読みふけった。
 日記は柊(しゅう)青年が17歳の時、玲人の祖父ミハエル(柊はミーシャと呼んでいた)と出会うところから始まっていた。学生の頃から指揮者を目指していた柊は、ピアノの教師をしていた祖母から音楽の手ほどきをうけていた。そして彼女の夫であるミーシャと衝撃的な出会いを果たした。
 玲人の祖父はとても美しい人だったらしく、彼は日記の中で「一目で心奪われた」と書いている。文面からはミーシャへの激しく情熱的な恋情が伝わってくるようだった。おそらく柊青年はにとって彼は、初恋の人だったのだろう。しかし当然彼は同性であり、自らの師の夫であり、一児の父であった。そんな相手に自分の想いを告げるわけにはいかず、柊の初恋は苦しいものであった。
 そんな情熱的なラブレターのような日記は、ある日を境に一変する。それはミーシャが43歳の若さで急死してしまったからだった。身体があまり丈夫ではなかった彼は風邪をこじらせて亡くなり、さらに夫の後を追うようにして音楽の師である祖母もなくなってしまった。当時24歳の、まだまだ多感だった柊青年にとって両名の死は耐えがたいものだった。悲しみから逃れるようにして、柊青年はヨーロッパへと留学する。そこで指揮者としての才能を開花させた彼は、名だたるコンクールで優勝し、その名声を確かなものにした。
 玲人の母、麻里との縁談が持ち上がったのは、新進気鋭の指揮者としてヨーロッパで成功を収め、多忙な日々を送っていた30歳の時だった。麻里自身もチャイコフスキー国際コンクールで入賞を果たしたピアニストで、柊とは幼いころから付き合いがあったが、あくまで彼女は愛した人の一人娘であり、最初は結婚するつもりなど微塵もなかったようである。
 しかし、麻里からの熱心なアピールや、未だに焦がれてやまないミーシャと浅からぬ縁ができるという誘惑に負けて、柊が荻久保家の婿に入るという形での入籍に踏み切ったのだった。
 それでも父には子供を作る気などまったくなかった。自ら愛のない結婚を望んだ麻里はともかく、何の罪もない子供を巻き添えにすることはないと彼は反対していた。
 しかし、数年に渡る執拗な麻里の要求に辟易した柊は、ならば勝手にすればいいと、一度だけ人工授精を試みることを許した。そうして産まれたのが玲人だった。しかし柊は玲人の顔を見ることなく、それから10年もの間日本の土を踏むことはなかった。
 決して日本に帰るまいと心に決めていた柊が日本に帰国せざるを得なくなったのは、たった一度の失敗からだった。
 初めての共演となるヨーロッパ屈指のオーケストラとのコンサートにて、柊は彼らとのリハーサルの時点で仲違いしてしまい、結果、本番では彼らの報復という形で演奏会は惨憺たる結果になってしまった。その所為で柊は欧米のクラシック界から干されてしまい、二度とタクトなど手にするまいと誓い、無念の帰国をすることになったのだった。
 

 そして帰国した柊が見たのは、初恋の人の面影をもつ息子の姿だった。10歳になっていた息子は、ミーシャの幼い頃を見るかのように生き写しだった。死してもなお、彼を想い続けていた柊にとって玲人は、素直に息子とは認めることのできない存在だった。その顔を見るたびに込み上げてくる複雑な感情は、次第に柊を混乱させていく。
 純粋に父親の愛情を求めてくる息子に対し、柊は父親として接することなどできなかった。母親にも自分にも似るところがない子供など、到底息子だとは思えなかったのである。このころから柊の日記には、自分に言い聞かせるように「あれは自分の息子ではない」と繰り返し綴られるようになる。
 そうして柊は、玲人が寝静まるころになると、夜な夜なその身体を密かに触れるようになった。罪悪感はもちろんあったが、日々高まっていく欲望を止めることなどできなかった。幼いミーシャに悪戯をしているような背徳感は柊にとってたまらない快感だったのだ。
 しかしそんな行為はすぐに玲人に気づかれてしまった。追い詰められた柊は、衝動のまま玲人を犯した。柊の狂気はもはや手の施しようがないほどに、深く暗いものになっていた。


 日記の最後のページを読む頃には、辺りはすっかり夕暮れに包まれていた。
 玲人は父の墓石の前に座り込み、夢中で日記を読んでいた。一人の人間が歩んできた軌跡を辿る行為はとても辛く苦しいものだったが、玲人にとってこれは必要な作業だった。
 読み進めていくうちに、玲人の恐怖という概念そのものだった父のイメージは少しづつ変化していった。当時の父の想いや、苦悩を知るたびにその存在を近くに感じた。
 日記の最後は、レポート用紙に書かれたなぐり書きのようなものだった。日記とは別に書かれたものらしく、最後の日記の次のページに四つ折りにして挟み込まれていた。おそらくこれは梁田氏が差し入れたものだと玲人は察した。
 書かれたのは玲人が家出を試みて失敗した日、まさに父が亡くなったと思われる日のようだった。文頭は「告白しよう」という一文から始まっている。
 自分の暴力によって玲人を殺してしまったと思った柊は、自ら命を絶つ前に玲人に宛てて真実を吐露していた。その文面は日記の後期に見られるような狂人じみたものではなく、正しく現実を見据えた人間のものだった。
 狂気に侵されているのだと、自らの罪をを正当化していたこと。玲人をミーシャの身代わりにしていたという欺瞞。本当はミーシャの身代わりとしてではなく玲人を愛していたのだと、柊は最後にようやく認めたのだった。父親としての情を注ぐこともできず、惨たらしい方法で玲人を殺めてしまったことを「死んで償うほかない」と深く悔いていた。
 そして最後には「もし次も人間として生まれ変わることが許されるなら、次もまたお前の父親になりたい」と言っている。次こそはもう過ちを犯すまいと。


 最後の一文を読み終えた玲人は、溢れる涙を止めることができなかった。
『お前を心から愛していた』
 それは彼なりの懺悔の言葉だったのかもしれない。
 どんな言葉で言い繕おうとも彼のしたことは決して許されることではないが、憎まれていたのではなかったのだと知ることができただけでも、玲人は救われる思いだった。
 生きて謝罪の言葉を言ってほしかった。罪を償うというのなら、生きてその重荷を負うべきだ。玲人はこれからも父を死に追いやってしまったことを背負っていかなければならないのだから。
 しかし、もう玲人のなかに憎しみや恐怖はない。それは父親の弱さを理解し、受け入れることができたからなのかもしれない。
(許すよ、お父さん)
 一度もそう呼ぶことを許されなかった呼び名を心の中で呟いて、玲人は墓前でそっと手を合わせたのだった。


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Remain of Love act29

►2009/06/19 20:00 

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 帰国してから六ヶ月が経ったある日、仕事が一段落ついた玲人は京都の実家に足を運んでいた。京都には家を出た後もライブなどで何度か来てはいたが、実家に帰ったことは一度もなかった。
 18歳の時、東京の大学に進学してから21年もの間、そこは玲人にとって鬼門のような場所だった。39歳の、いい加減大人になった今でさえ、そこは立ち入りがたい場所であった。逆に、父親との忌まわしい記憶を取り戻した今だからこそなのかもしれない。見覚えのある景色を目にするたびに、あの頃の忌々しい記憶が甦り、玲人を重苦しい気分にさせた。
 もう少しで実家が見えるという地点にきて、情けなくも玲人の足が震えだした。畏怖の対象でしかなかった父親はもういないのだとわかっていても、幼い自分が受けた恐怖の記憶が身体を竦ませてしまう。
 今すぐ引き返して逃げ出しそうになる弱い心を叱咤しながら、玲人は実家のある方向へと歩を進める。
 すべてはここから始まった。そして今日で終わらせるのだ。忌まわしい過去を、今日こそ断ち切ろうと、玲人は萎えそうになる気持ちを奮い立たせた。


 玲人が実家を訪ねると、母親の世話をしてくれている梁田氏が玲人を出迎えてくれた。梁田氏とは年に二、三度は電話で連絡を取っていたが、こうして顔を見るのは21年ぶりで、当然のことであったがその年月の分の年輪を重ねていた。
「お久しぶりです。長い間顔を出さずにもうしわけありませんでした」
「いえいえ。坊ちゃんも、変わりなくご健勝にてお過ごしのようでなによりです」
 数日前、玲人が実家に伺うことを電話で知らせると梁田氏は少し驚いたようだった。21年もの間、実家を省みることなく過ごしてきた玲人が突然帰ると言い出したのだから、当然と言えば当然だった。
 それでも梁田氏が快く自分を迎え入れてくれたことに玲人は感謝する。本来ならば母親の世話は一人息子である自分の義務であるところを、全てを梁田氏に丸投げしてきた。そのことを詰られたとしてもおかしくはないのに、そういった非難めいた言葉を梁田氏に直言されたことは一度としてなかった。
「お母さまは奥の部屋にいらっしゃいますよ。坊ちゃんがお越しになることも話してございます」
 ここに来た理由を最初からわかっていたかのようにそう言われて、玲人は驚くしかない。しかし梁田氏は玲人がここに来るとわかった時点で、その目的を察していたのだろう。
「ありがとう」
 そう言って玲人は頭を下げた。梁田氏は、「ごゆっくりなさってください」と厨房へと消えていった。
 残された玲人は覚悟を決めて一番奥にある母親の部屋へと向かった。
 そこは幼いころの自分にとって、決して入ることの許されない不可侵の場所であった。この厚い一枚の扉で隔てられた親子の絆の溝は深く、ついにこの歳になるまでそれを踏み越えることはできなかった。しかし今日はほんの少しでも、その距離を縮めたかった。
「お母さん、玲人です。入ってもいいですか?」
 それだけの言葉を言うだけで、冷汗が流れる。何しろ母親に対して、「お母さん」と呼びかけること自体が久し振りで、その言葉を口にするのには大きな違和感があった。しかし扉の向こうからは返事はない。無視されるだろうとはある程度覚悟はしていたので、玲人はそれを気に病まず言葉を続けた。
「入りますよ?…失礼します」
 多少強引ではあったが、玲人は思い切って扉を開けた。初めて入る母親の部屋を観察する余裕もなく、玲人はかの人の姿を探す。
 母親らしき人物は、窓際のカウチに腰かけていた。玲人に背を向けるようにして座っているので、その容貌や表情までは窺えない。しかし、その姿を見止めた瞬間、玲人の背に緊張が走った。母親の姿を目にするのは実に29年ぶりで、懐かしさよりもやはり畏れのほうが先立ってしまう。
 しかし拒絶されなかったことだけが玲人を勇気づけた。少なくとも同じ空間にいることは許されたのだと玲人は都合よく解釈して、自らを奮い立たせた。
「お母さん、お久しぶりです。…ええっと、お元気でしたか?」
 前もって用意していた言葉も、緊張ですっかり頭から飛んでしまっていた。何を話していいのかわからなくなった玲人は、パニックになりながらも何とか言葉を紡ぐ。
「僕は元気でした。ええっと、色々あったけど、今は元気です」
 母親からの返事はない。しかし聞こえてはいるはずだと、玲人はめげずに続ける。
「友達もたくさんいるし、仕事も順調で…ええっと、毎日充実しています」
「………」
「音楽でご飯が食べられるのはとても幸せで…。だって、自分の好きなことをして生きていける人ってすごく少ないと思うんだ。でも僕は好きなことをしてお金をもらって生活できてる。これって、すごくラッキーなことだよね…。ええっと、つまり、何が言いたいのかというと…」
「………」
「僕に、音楽を教えてくれてありがとう。お母さんが僕にピアノを教えてくれたから、こんな僕でも毎日お腹いっぱいご飯が食べられると思うんだ。だからお母さんにはすごく感謝してます」
 そう言って玲人は背中を向けたままの母親に深々と頭を下げた。見えてはいないだろうが、気配でわかってくれただろう。
「言いたいのはそれだけ。勝手に部屋に入って、勝手に変なこと言ってごめん。ただそれだけ伝えたかったから言いにきた」
「………」
「これからは顔を見に帰って来るからね。…お母さんは僕に会いたくないかもしれないけど」
 いつか母親から返事が返ってくることを期待して、玲人は根気強く実家に通うつもりだった。それが、「うるさい」でも「もう来るな」でも構わない。無視されるよりはずっとましだ。
「じゃあ、またね。風邪とかひかないように、気をつけてね」
 帰ろうとした玲人はそこで一番大切な言葉を忘れていたことに気がついて足を止めた。
「あ、忘れてた。あのね、僕を産んでくれてありがとう。これが一番言いたかったことだからっ。じゃあ!」
 改めてそんな言葉を口にするのは恥ずかしくて、玲人は慌てて部屋を出た。言いたいことだけを言って返事も聞かず、玲人の独り言になってしまったが、少しでも母親の胸に伝わるものがあればいいと思う。これが嘘偽りない、現在の玲人の気持ちであったし、心から親子の関係の修復を望んでいることも確かだった。
 母親としての義務を放棄してしまった母親を、玲人はもう憎んではいなかったし、彼女を赦すことで自分の心の中の呪縛から少し解放された気がする。
 いつか少しづつでも会話ができるようになるといい。時間は取り戻すことはできないが、幼い頃受け取り損ねた愛情ならば、少しは取り戻せる気がする。
 …今の段階でそこまで望むのは少し欲を出しすぎかもしれないが。
 ものの数分で部屋を出てきた玲人に、梁田氏は心配そうに声をかける。
「いかがでしたか?何か、おっしゃられていましたか?」
「ううん、何も。でもいいんだ。これからはちゃんと帰ってくるようにするから、そのうちね」
 そう何度もは帰ってこれないと思うけど、と苦笑いした玲人に梁田氏は悲しげな笑みを浮かべて言った。
「お母さまを許して差し上げてください。あの人も、弱い方なのです」
 彼女には彼女なりの苦悩があったのだと、誰よりも近くで自分たち家族を見守ってきた人はそう言って玲人に許しを乞う。しかし玲人は穏やかな笑みを浮かべて緩く頭を横に振った。
「もう怒ってないよ。昔は恨んでたこともあったけど、今は感謝してる。これでよかったと思ってるんだ。ちょっと変な家族だったけど、それがあったから今の僕がいるんだし」
「玲人坊ちゃん…」
 軽い言葉でそんな風に言ってのけた玲人だったが、本人が背負った苦悩はそんな簡単なものではないことを知る梁田氏は、それらを乗り越えた玲人を眩しく感じた。まさか、こんな風に過去の罪が赦される日が訪れるなど思ってもみなかった梁田氏は、深く皺の刻まれた眼尻に涙を浮かべる。
「もう、やめてよ〜。お年寄りを泣かせるなんて罪悪感かんじちゃうじゃないか」
 そんな梁田氏を優しく宥めながら、玲人はつられて涙した。
 そして奥の部屋で玲人の母親もまた、一人涙を流していたのだった。


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Remain of Love | Comment(0) | Top ▲

Remain of Love act28

►2009/06/12 20:00 

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 東京に戻った玲人はその足で仕事場であるスタジオに向かった。長旅の疲れはもちろんあったが、それよりなにより仲間たちの顔が見たかった。
 着いたのは夕刻だったのにも関わらず、スタジオにはたくさんのスタッフがいた。その中には大門や、玲人のオフの日には仕事がないはずの美智までいて、自分がどれだけ彼らに甘えていたかを改めて痛感した。彼らが際限なく自分を甘やかしてくれるのをいいことに、とても我が儘で自己中心的な行動を取ってしまったことに今更ながら後悔した。
 自ら命を絶つことに失敗して悲嘆に暮れていた玲人は、衝動的に日本を離れることを決めた時、自分のことしか考えていなかった。取り残された周りの人間が困ってしまうかもしれないなどということは一切頭に浮かんではこなかった。
 それなのにスタジオに顔を出した玲人を、スタッフ達は暖かく迎えてくれた。こんなにも長期間不在にしていた事情は知らないはずなのに、誰一人として理由を問う者はいなかった。何か事情があったことは察しているだろうが、玲人が何の連絡もなく消えてしまったことを誰も咎めなかった。
 玲人にとって、その優しさが有り難くもあり、辛くもあった。謝罪したくても、誰もそれを咎めもせず、おおらかに流されてしまっては謝ることもできない。
 そんな玲人の気持ちを察したかのように、大門が不機嫌そうな顔つきで口を開いた。
「バカ野郎。勝手なマネしやがって。俺たちがどれだけ心配したか、わかってんのか?」
 はっきりと怒りを露わにした大門の態度に、その場の空気が瞬時に緊張を帯びた。そんな大門を宥めるように美智が少し焦ったように、「大門さん…!」と小さな声で制する。
「…ごめんなさい」
 しかし玲人にはわかっていた。これは、優しすぎて玲人を責めることのできないスタッフを代表して憎まれ役を買って出た大門のパフォーマンスであると。そうして玲人が謝罪の言葉を言いやすい空気を作ってくれているのだと、玲人にはちゃんとわかっていた。
「お前の両肩に、こいつら全員の生活が乗っかってんだ。お前が突然居なくなったりすれば、俺たちが路頭に迷うことになる。常にそれを念頭に置いておけ」
「うん、わかった。本当に、ごめんなさい」
 深く頭を下げると、大門が玲人の頭をくしゃりとかき回した。
「よし。わかってんなら、もうすんなよ」
 顔を上げて大門をみてみると、その表情はもう怒ってなどいなかった。どうしようもなく出来の悪い生徒を持った教師のような顔をして、玲人を見つめている。
「もうしない。どっか行く時は、ちゃんと連絡するから」
 そんな風にわざと的の外れたことを言う玲人に「バカ野郎」と、先ほどより優しい声色で言う。二人が和やかに笑い合うに至って、ようやくその場の緊張が解けた。スタッフ達もこのやりとりが大門の気遣いであることに気づいたようであった。
「もう気は済んだか?」
 大門の問いに玲人は「うん」と答えて、後であの奇跡的な出会いについて話そうと思った。もっとも、玲人とは付き合いの長い大門はその表情から、向こうで何か良いことがあったに違いないとすでに察していた。
 里村の亡くなったあとの玲人は、まるで玲人の姿を留めたままのただの抜け殻のようだった。今はそれが、まるで別人のようにすっきりとした顔をしている。この一か月半は玲人が居なくて大変なことも多かったが、玲人のこの表情を見ればその期間が決して無駄ではなかったのだとわかる。
 数日前にようやく玲人から連絡が入り、アーサー・ギルフォードと一緒にいると聞いて驚いた。あんなにも悩まされ続け、しまいには別れ話がこじれて監禁までされた男となぜこのようなデリケートな時期に共に居るのかと大門が訝しく思うのも当然だった。しかし、玲人には玲人の考えがあるのだろうとしばしのバカンスも許した。里村が死んだことで、寂しさから焼けぼっくいに火がついたのかとあらぬことを考えたりもした。しかし、翌日にかかってきたアーサー・ギルフォードからの電話でその疑いが間違いだったことを思い知らされた。
 彼は、玲人と自分がなぜ一緒にフィジーに滞在することになったのかを詳細に説明した上で、滞在がここまで伸びてしまったのは単に自分の所為であると言った。恋情を捨て切れていない様子の彼の説明を聞いているうちに同情せざるを得なくなって、最後には(仕方ない)と彼の我が儘を許す気分になった。後から、それもあの男の計算のうちだったのだとわかって、それにしても玲人はやっかいな野郎に惚れられたものだと可哀想になった。
 大門は直接アーサーとは面識はなかったが、シエラから聞いた話や玲人の様子から、自尊心の高い粘着質な男を想像していた。しかし電話で会話をした印象からは、セレブリティー特有の驕り高ぶった高慢さは感じられなかったし、誠実な好青年というイメージを受けたほどだった。
 しかし、セレブである彼が卑下してみせることで相手に与える好感を計算に入れた上で、大門に自分の切ない恋心をちらつかせて同情を誘い、自分の要求を快く納得させるテクニックは腹黒いとしか言いようがない。
 今は恋人を亡くして傷心の玲人だが、そのうち彼の搦め手に上手く捕えられてしまうのではと心配な大門である。
 だが今は、玲人を恋愛事などで手間取らせるわけにはいかない。美智が苦心してスケジュールを調節したおかげで、この一か月半の予定がこれから怒涛のごとく待ち受けているのだから。
「覚悟しておけよ。今日からバンバンこき使ってやるからな。来月リリースのアミサの新曲、明後日までにあげてくれよ」
「う…。ハイ、ガンバリマス…」
 かなり無茶な大門の要求に、玲人はただ頷くしかなかった。


〜To Be Continued…〜



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Remain of Love act27

►2009/06/10 20:00 

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 結局玲人は予約を入れていた隣町のホテルには宿泊することなく、里村家宅で一夜を明かすことになった。
 地元の新鮮な魚介類をふんだんに使った特上寿司を振る舞われ、次から次へと出される美味しい手料理でもてなされているうちに帰るに帰れない時間になってしまった。しかし、思いのほか楽しく過ごすことができたし、とても有意義な時間だったと玲人は思う。
 里村の小さい頃の写真を見せてもらったり、喧嘩に明け暮れていたという中学生時代のやんちゃなエピソードなどは何時間でも飽きずに聞いていた。大人の落ち着きを持っていた里村しか知らない玲人にとってはどれも初めて聞く話で、自分の知っている里村とのギャップに驚くことばかりだった。
 しかし、中学を卒業してすぐに板前の修業をするために上京した里村が道を踏み外してしまったことは、やはり家族にとっても未だに苦い思い出のようだった。里村の母親がそのことについて言及しようとすると、弟は一瞬チラリと玲人の顔を窺ってから、「かっちゃ(お母さん)、余計なことへるなじゃ(言うな)!」と声を荒げた。
 非常にデリケートな話題であったし、それについて語ることがいいことなのか玲人にはわからなかったが、黙っていることは嘘を吐いていることと同じことのような気がして「里村さんから聞いています」と素直に告げた。とても褒められたものではない自分の過去を、里村が玲人に話していたことに彼らは少なからず驚いていたようだった。
 里村の母親は「今更隠すようなことでもない」とでも言うように、その当時のことを事細かに話してくれた。未成年の時から何度か警察に世話になり、そのたびに東京まで出向いて謝罪をしてまわったこと。悪い仲間と付き合いだした里村が、ついにならず者になってしまったこと。特に傷害罪で逮捕され、収監されたときなどは大変な騒ぎになったという。そんなことがあって以来、里村からの連絡は途絶えていたそうだが、里村が亡くなる数日前、何十年ぶりかに連絡があったという。
「もうやくざからは足を洗ったってへってらったすけ(言っていたから)安心はしてらったけど(していたけれど)、結婚は諦めていだったんだ(いたんだ)」
 死んでしまった人間のことを話しているにも関わらず、里村の母親の表情はどこか嬉しそうだった。もう縁を絶ったつもりでいた息子からの連絡はやはり嬉しいものだったに違いない。
「それが、がーるふれんどば会わせたいってへるんだもの(言うんだもの)、びっくりしたったもんだ」
 嬉しそうにそう語る里村の母親には少しばかり申し訳ないと思いながらも、玲人はここに来たのは正解だったと感じた。そしてこんな風に息子の恋愛を喜んでいる姿を里村にも見せてあげたかったと思う。できるなら、生きているうちに里村と母親を会わせてあげたかった。亡くなってから親子の縁が戻るなんて悲しすぎると玲人は思う。
 もし、と玲人は仮想する。
 もし、自分が死んだら母は悲しんでくれるだろうか。それこそ玲人の生まれ育った家庭は、複雑に拗れてしまっていて、もうすでに崩壊してしまっていると言ってもよかった。父親の死後、玲人が母親と会話した記憶は皆無であったし、母親らしいことをしてもらったという記憶もあまりない。玲人の母親が母親足り得るのは、玲人を産んだという事実だけで、父親亡きあとは放置という名の虐待が始まった。十歳からそれ以後、玲人は同じ家の中に住んでいながら母親の姿を見ることすらなかったし、声を聞くこともなかった。
 だから、連絡が途切れようとも、ずっと親子の絆を結んでいた里村親子が心底羨ましく思えた。
(母さんは僕のことを愛してくれているんだろうか…?)
 母がどんな顔をしていたか、それすら思い出せない玲人だったが、母親への愛情が全く無いわけではない。そんな風に特異な環境で育った玲人であったが、幼いころはともかく、事情を知った今では母親が玲人を拒絶したことも仕方がないと思えるようになったし、恨んでもいない。
 大学進学を機に実家には一度も帰っていない。玲人は里村の母親に出会って、久しぶりに実家に帰ってみようかという気分になった。
 おそらく今でも家政夫の梁田(やなだ)氏が母の面倒を見てくれているはずだと思う。しかしその梁田氏も、もうそれほど若くない。今後の母親が心配ではあった。
(仕事が片付いたら、帰ってみようかな…)
 おそらく、一か月半もの間休んでいた分、仕事は山積みになっていることだろう。それが一段落ついたら実家に帰ってみようかと思った。父親との忌まわしい記憶が蘇ってから初めて足を踏み入れることになるが、さほど恐怖は感じない。それは玲人が、父親の罪も、母親の罪も、全て許してしまっているからなのだろう。
 そしてそれを乗り越えられたのは、里村がそんな玲人を全て受け入れてくれたからだ。


 何度も同じ話を繰り返すようになった里村の母親を、美也子が「そろそろお休みの時間ですよ」と声をかけて就寝させた。玲人としては、里村のことならば何度でも聞いていたかったが、弟夫婦としては玲人に気を遣ってくれたのだろう。
 翌朝帰京する玲人に、里村の母親がたくさんの手土産を持たせてくれた。それは地元で獲れた魚の干物であったり、自宅の庭で採れた新鮮な野菜であったりした。そして別れ際には、涙さえ滲ませて、「また来てけんろ」と言ってくれた。「実家だと思って、気軽に来て」と。昨日初めて会ったばかりの自分に、こんなにも親密な情を示してくれる里村の母親の温かさがありがたく、嬉しく思う反面、次に来るころには、事情を知った里村の母親が玲人を拒絶するのではと思うと怖かった。自分が男だと知れたら、おそらく彼女は自分を軽蔑し、息子を同性愛に引き込んだことを恨むかもしれない。
 しかし、最後の最後の別れ際、里村の母親は思いがけないことを口にした。
「ちゃんと飯食って、けっぱってな(頑張ってね)。細っこい男はわがんねはんで(駄目だから)」
 その言葉に面食らった玲人は思わず弟夫婦を見やった。すると、彼らは一様に(大丈夫ですよ)というように優しく微笑んでいた。
 そこでようやく玲人は、昨夜、彼らがあえて玲人の性別について訂正しなかったわけを知った。おそらく里村の母親は、墓地で出会ったときから玲人のことを男だとわかっていたのに違いなく、それを弟夫婦もわかっていたのだろう。そしてそれでも里村の母親は、自分を「息子の嫁」だと認識してくれていたのだ。
 自分の抱いていた里村の母親に対する後ろめたさが、全て無用のものだったとわかって、玲人は突然、緊張の糸が途切れたように泣き出していた。感謝の気持ちがとめどなく胸から溢れ出して、どうしていいのかわからなかった。
「なんも、なんも、ありがとうね。ここまで来てくれてほんに(本当に)ありがとうねぇ」
 そう言って、だいぶ身長差のある玲人の肩を優しく叩いてくれた。それは玲人の後ろ暗さを全て抱擁してくれるような大きな愛情であった。
 結局、最後はまともに別れの言葉を告げられないまま、玲人は里村家をあとにすることになってしまった。
 仕事が片付いたらまずは実家に行こう。そしてまたここに帰って来よう。止まらない涙を持て余しながら、玲人はそう心に誓った。


〜To Be Continued…〜



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Remain of Love act26

►2009/06/03 20:00 

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 里村の墓参りを済ませた玲人は、当初、隣町のホテルに宿泊する予定だったのだが、わざわざ東京から足を運んでもらったのに、このまますんなり帰すわけにはいかないという里村の母親の強い希望により、里村の実家を訪れることになってしまった。突然前触れもなく、自分のような人間が訪ねてもよいものかと思ったが、里村の母親の熱心な誘いを断ることもできず、結局言われるままについていくことになった。
 墓地から歩いても数十分のところにある里村の実家は、古いながらも立派な佇まいの家屋だった。
「美也子さん、帰ったど〜」
 鍵も掛けられていない扉を開け放った里村の母親が張りのある声でそう言うと、家の奥から「は〜い」と返事がかえってきた。そうして出てきたのは40代くらいの女性で、道中に聞いていた同居しているという里村の弟の妻だとすぐに玲人はわかった。
「おばあちゃん、お疲れ様です」
「ほれ、お客さんば連れできたすけ。お茶っこ出してけで」
「はいは………、………っ!?」
 そこで女性はようやく里村の母親の背後にいた玲人に気づき、そして口を開けたまま絶句した。驚かせてしまったことに申し訳なさを感じつつも、玲人は丁寧に挨拶をした。
「あの…、突然お邪魔してもうしわけありません。雅巳さんにお世話になっておりました、荻久保玲人といいます」
「…は、はぁ………」
 突如訪れた予想外な客人に女性が動揺していると、玲人の正体を知らない里村の母親がまたもや爆弾を投下した。
「わざわざ東京から墓参りさ来てくれた、雅巳の嫁っこだず。お人形さんおった(みたいな)べっぴんだべぇ?」
「………え、お嫁、さん?」
 女性の頬が引きつったのを見た玲人は、すぐさま引き返して帰りたい気分になったが、里村の母親の厚意を無にすることだけはしたくなかったので、様々な意味を込めた上で頭を下げた。
「…すいません」
 謝罪の声が小さくなってしまったのは仕方のないことだった。亡くなった義兄の恋人が男で、しかも玲人のような有名人とあれば、戸惑い、困惑するのは当然のことだろう。歓迎されないだろうということはわかっていたので、玲人はひたすら後ろめたい気持ちでいっぱいだった。
 里村と愛しあっていたことは玲人にとって何ら恥じる必要のない事実であるが、かといって胸を張って「自分は同性愛者だ」と言いふらす勇気はない。玲人の周囲にいる人間はみな玲人の性癖について寛容であるけれども、万人が同性愛に理解があるわけではないのだ。むしろ、否定的な考えの人間のほうが多いくらいかもしれない。わかってはいたものの、今まで面と向かって非難されたことがあまりないだけに、玲人は否定的な言葉に対する免疫がなかった。
 辛い言葉を投げつけられても仕方がないと玲人が身構えていると、以外にも女性は目を輝かせて言った。
「や〜、びっくりした〜〜〜!!ホンモンの玲ちゃんがウチみたいなド田舎に来るなんて思ってもみなかったからおったまげてまって〜(腰を抜かすくらいに驚いてしまって)」
 歓迎されるわけがないと思っていた玲人は、(内心には複雑な感情を持っていたかもしれないが、表面的にでも)好意的な態度を示してくれたことにホッと胸をなで下ろした。
「なに、美也子さん、知り合いだったのが?」
 事情がわからない里村の母親は不思議そうに女性と玲人を見比べていたが、
「やんだ、ばあちゃん、荻久保玲人っつうたら有名なミュージシャンだべさ〜」
「あれま、みゅうじしゃんてば音楽やる人のことだが?」
 女性に言われてようやく里村の母親は、玲人が世間的にも認知度が高い有名人だということを理解したらしかった。
 「入って、入って」と笑顔で促され、家の中にお邪魔することになった玲人は出されたお茶を頂きながら談笑し、美也子と呼ばれた女性が、かつて玲人が組んでいた『L-ing For』というユニットのファンであったことが判明した。
「わたし、コンサートにも行ったことがあるんだから〜。CDも、ほとんど持ってらったし」
「うわ〜、ありがとうございます。じゃあ美也子さんと僕は初対面ではなかったんですね」
「もう、玲ちゃんってば覚えてないくせに〜。後でCDにサインしてけでね(ちょうだいね)!我が家の家宝にすっから〜」
「僕のでよろしければ喜んで」
 『L-ing For』が解散するに至った経緯を知らないはずはないのに、未だにこうして応援してくれている人間がいることがありがたく、励まされる。やはり自分は音楽の道を邁進するほかないのだと気付かされ、一刻も早く復帰しなければと強く感じた。
 世界中に自分の音楽を愛し、待ち望んでくれている人がいる。もしもそれが最後にはたった一人にになったとしても、玲人はそのたった一人のために音楽を作り続けようと、改めてそう思ったのだった。


 その日の夜は帰宅した里村の弟と共に酒宴となった。里村の弟は妻とは違って、兄の男の恋人ということに複雑な思いがあったようだが、最終的には、ここまで足を運んで弔意を示した玲人の想いをくんでくれたようだった。
「本当にありがとうございます。こったらに(こんなに)好いてくれる人がいて、兄は幸せもんです」
 と、アルコールで涙腺が緩くなったのか、涙ながらにそう言った。
 里村の母親は最後まで玲人が男だということがわかっていないようだった。あえて玲人も自分の性別について明らかにはしなかったし、弟や美也子もその場で誤解を指摘することはなかった。おそらく、玲人がいなくなったあと里村の弟か妻の美也子の口から真実を知ることになるだろう。卑怯だとは思ったが、この時点で事実を明かしていたら、里村の母親の玲人に対する同情的な態度が一変していたかもしれない。
 里村を道ならぬ恋に引きずりこんだ責めを負う覚悟はできているが、里村の弟、美也子、玲人との間で、今は穏便に済ませようというの暗黙の了解のようなものがあった。もしかしたら、里村の弟と美也子は普段の生活での会話の中で、里村の母親が同性愛に否定的であることを知っていて、あえてそういった配慮をしてくれたのかもしれないと、玲人はその理由をそう思うことにしたのだった。


〜To Be Continued…〜



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【追記】

ブログ拍手お礼♪

HALさま♪

お久しぶりです、HALさま_(._.)_
随分と間が空いてしまったのに見捨てないでいてくださって、本当に感謝感激です!!
まだペースが戻ったわけではありませんが、無理のない程度に更新していこうと思います。
これからも変わらぬご愛顧、よろしくお願いします♪





 
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Remain of Love act25

►2009/05/30 20:00 

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 偶然にも、玲人が出会った老女は里村の母親だった。思いもよらない巡りあわせに、玲人は運命的なものを感じずにはいられない。
「いんやぁ〜、雅巳の知り合いだったがぁ〜」
 そう言って小さな瞳をめいっぱい見張った老女に、玲人は壊れた人形のようにカクカクと頷いた。
「ハ、ハイ!あの、雅巳さ…、いえ、里村さんには生前とてもお世話に…っ」
「そうかい、そうかい。わざわざこんな田舎まで来てくれるなんて、ご苦労さんだったねぇ」
「い、いいえ…!!」
 まさか、こんなところで里村の母親に会うことになるとは思ってもいなかった玲人は、あまりのことに軽いパニック状態に陥っていた。すると里村の母親は、さらに玲人をパニックにするような言葉を口にした。
「もしかして、あんたが雅巳の嫁さんだべか?」
「…っ!!」
 唐突に投げかけられた質問に、玲人は咄嗟に言葉を詰まらせてしまう。どうやら里村の母親は玲人を女性だと勘違いしているらしい。そうだ、とも違う、とも答えられず、玲人は老女を見つめたまま固まってしまった。
「あんたみたいなベッピンさん、雅巳はどこでつかまえたんだが」
 ふぉふぉふぉ、と嬉しそうに笑う里村の母親を前に、「実は自分は男なんです」と言うこともできず、玲人は密かに冷や汗を流していた。すると、不意に神妙な顔になって老女は墓石に目をやった。
「死ぬ何日か前だったか、雅巳から電話があっての。雅巳から連絡なんてぇ、何十年ぶりだ。何事かと思っだら、今度紹介したい人がいるからってへってらった(言っていた)のさぁ。ようやく雅巳も嫁っこば貰う気になったかと、安心してらったのになぁ…」
 里村の母親が口にした言葉に、玲人は呼吸を忘れた。そして、里村が亡くなる数日前の記憶がうっすらと蘇る。
 あの時里村はしきりに玲人の休暇を聞き出しては、自分の予定表と照らし合わせていた。てっきりデートの予定でも立てているのかとばかり思っていたが、もしかしたら里村は、玲人を母親に紹介するために二人で故郷を訪れるつもりだったのかもしれない。
 里村が同性の恋人を親に紹介するというリスクの恐ろしさを理解していなかったはずはない。下手をすれば勘当という、最悪の事態にもなりかねない。それを覚悟の上で里村は玲人を母親に会わせてくれようとしていたことに、玲人の心は狂おしく締め付けられる。


 里村は元々ヘテロセクシャルだった。それを自分が歪めてしまったのでないかという罪悪感が玲人には常につきまとっていた。そんな玲人の気持ちを知っていた里村は『そんなことは気にしなくてもいいんですよ』と言ってくれていたが、自分と出会わなければ里村には家庭を築くという別の選択肢もあったのではないかと思われてならなかった。
 どんなに深く愛しあっていても、何も生み出すことのない不毛な関係だ。「結婚したい」「子供が欲しい」と言われたら、玲人は諦めるしかないと、いつも心のどこかで覚悟をしていた。
 しかし里村の愛情はそんな玲人の想像をはるかに超えるものだった。里村が玲人のためにと用意していた指輪の本当の意味を知って、玲人は最後まで彼の愛情を疑っていた自分を情けなく思った。
 たとえ世間から認められない関係だったとしても、里村を心から愛していたという事実は恥ずべきことではない。里村の深い愛情を思いがけず再確認することになった玲人は、その想いに強さをもらったかのように、自信に満ちた目で里村の母親に向き合う。
「…籍を入れることはできませんでしたが、雅巳さんとはとても親しくさせていただいておりました。挨拶が遅れて申し訳ありません。僕は荻久保玲人といいます」
 わかっているのかいないのか、里村の母親は、玲人が深く頭を下げるのを「やんやんや」と言って遮った。
「頭っこ上げてください。なんも、そったらごと(そんなこと)しねぇでください」
「本当ならば、もっと早くにお伺いするべきでしたのに、お伺いするのが遅れてしまってすいませんでした」
「なんもなんも、来ていただいだだけでも、ほんに(本当に)ありがたいです。よくこったら(こんな)ところまで来て下さいました」
 頭を下げ続ける玲人に、老女は労わるように肩を撫でさすってくれる。その優しさに様々な想いが去来し、玲人は頭を上げることができずにいた。
 里村が生きていたならば、こんな形の出会いはなかったかもしれない。息子の連れて来た男の恋人など、到底認められるものではなかっただろうし、最悪、顔も見たくないと追い返されていたかもしれない。それを思うと、この母親の優しさも、里村の死がもたらした寛容なのかもしれなかった。
(ごめんなさい、お母さん。僕みたいな人間が、里村さんの恋人でごめんなさい)
 こんなことを里村が聞いていたら、「馬鹿なことを言わないでください」と怒っていただろう。しかし玲人には、母親の優しさが自分にはすぎたものだという思いが拭えない。その優しさは自分に与えられるものではなく、本当ならば『里村の伴侶』という立場の人間が受けるべきだったのではないかと思えてならなかった。
「すいません…、僕は…」
 そんな風に温かく迎え入れてもらえるような人間ではない。言葉にはしなかったが、つい口をついて出た謝罪を、里村の母親は気にした様子もなく、玲人の二の腕を掴んで墓の前まで引き出した。
「線香あげてやってけで(ください)。雅巳も喜ぶはんで(でしょう)」
「は、はい…」
 玲人は里村の母親とともに墓石のまわりをきれいにしたあと、持参した花を供えて、ろうそくに火を付けた。霊前に線香をあげて手を合わせると、複雑に乱れていた気持ちが少しだけ凪いだ。
(来るのが遅くなってごめんね。ちょっと遠回りしたけど、もう大丈夫だから)
 玲人が日本を離れている間に、四十九日の法要も納骨も終わってしまっていて、こんな時期外れにくることになってしまったが、偶然にもここで里村の母親に会えたのは何かの巡りあわせだったのかもしれない。
(時間がかかっちゃったけど、やっと立ち直れそうだから…)
 これからもたくさんの人間に迷惑をかけながら、不器用に生きていく。上手に生きていくことはできないが、それでももう、命を粗末にすることだけはもう決してしないと誓える。
(ありがとう。もう心配いらないから、雅巳さんは雅巳さんの行くべき場所に還って…?)
 未練を残した死者はいつまでも成仏できないと聞く。自分のせいでいつまでも成仏できなくなってしまってはいけないと、玲人は心の中で懸命に語りかけた。
(わかりました、玲人さん…)
 それは玲人のご都合主義の幻聴だったのかもしれない。しかし、里村の意思を確かに感じた気がして、玲人はそっと笑みを浮かべた。
 先に合掌を解いていた里村の母親がケラケラと笑って、「こんなベッピンさん置いて死んじまうんだから、あいつも最後まで馬鹿なやつだ」と言ったのを、玲人は苦笑して「はい」と答えた。


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Remain of Love act24

►2009/05/28 20:00 

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 目指す墓地は急な坂道を上がった丘の上にあるらしい。
 坂道の沿道には立派な桜並木があり、今が盛りとばかりに満開に咲き誇っている。
 東北の春は遅い。玲人が日本を出た一か月半前は東京で蕾が膨らみ始めている時期だった。東京の桜は見逃してしまったが、里村の故郷でこんなにも素晴らしい満開の桜に出会えたことに、玲人の気分が少しだけ高揚する。
 去年の桜は里村と一緒だった。二人で外出すること自体が稀で、里村と出掛けたという想い出がとても少ないのだが、今思えば里村は自分が玲人の足を引っ張る存在になることを、いつも危惧していたのだろう。もし自分たちの交際が明るみになった時、元極道で前科持ちという過去が玲人の将来に影を落としてしまうことを恐れて、人目を避けるようにしていた節があった。そんな彼の後ろめたさは玲人にとって全く不要なものであったが、それもまた里村なりの玲人への愛情の表れの一つだったのかもしれない。
 あの時は里村が車をレンタルしてくれて、彼の運転で郊外にある桜の名所へとドライブした。久しぶりの二人での外出というのに加えて、里村が運転する車に乗るのも初めてで、玲人は前の日から浮かれていたのを覚えている。毎年仕事に忙殺されているうちに見頃を逃してしまっていた玲人にとっては、桜をゆっくりと観賞すること自体が珍しいことで、しかもそれを最愛の恋人と見ることができたあの日のことは、最高の想い出として残っている。
 薄紅色の花々を眺めながら、(来年も一緒にこの風景を見ることができたらいいな)と思ったものだった。しかし、そんな願いも里村の死によって儚く消えてしまったが。
(雅巳さんも見てるよね?今、一緒に、この桜を見てるよね?)
 玲人に霊感などというものは皆無だったが、里村が近くに居てくれているような気がしていた。ここが里村の故郷だという理由以上に、玲人はもっと親密な空気を感じていた。それは以前のような、里村の死を認めたくはないという玲人の思い込みによる幻覚ではなかった。
(僕を、見守ってくれてる?そばに居てくれてるの?)
 里村が生きていた頃よりもずっと、彼を近くに感じられる。頼りなく、不安定な玲人を心配するかのように寄り添う気配に、玲人は胸を引き絞られるような痛みを感じていた。
 馬鹿なことをした自分を、里村はどう思っているだろう。一度ならず二度までも、自らの命を絶って里村の後を追いかけようとした玲人に、きっと里村は責任を感じているに違いない。
(ごめんね。でも、もう絶対にしないから)
 玲人があんなことを仕出かしてしまったことを、里村は悲しんでいるだろう。もし、玲人が二度の試みに成功して、あの世で里村に会えたとしても、彼は決して喜ばない。それどころかきっと、「何を馬鹿な真似をしているんですか!」と容赦なく叱られていたはずだ。
 里村の望みはいつだって、玲人が幸せであることだった。自惚れではなく、それが真実だと玲人にも理解できたから、玲人はこれからも生きることができる。いや、生きなければならないのだ。


 上ばかり見て歩いていたので、玲人は自分の前に人がいることにしばらく気がつかなかった。
 10メートル先の坂道の中ほどに、腰の曲がった老女が歩いていた。色とりどりの花を入れた手桶を持ち、きつい傾斜を一歩一歩、ゆっくりと歩いていた。時折手桶を地面に置いては、ポンポンと腰を叩いて休憩している。若い玲人にもこの坂道はかなり過酷であったから、彼の老女の苦労は想像に難くない。
 玲人は急いで坂道を駆け上がると、すぐさま老女に追いついて、その手から手桶を奪った。
「お持ちします…っ!」
 息を切らせた玲人がにこやかにそう言うと、老女は驚いた顔で、
「あいや、えれぇ〜べっぴんさんだ〜」
 と声を上げた。そして突然の玲人の申し出に、少し困惑しながらも、笑って、
「いんや〜、申し訳ねぇっすな〜」
 と言ってくれた。いきなりの玲人の行動をおおらかに受け止めてくれたことに感謝しつつ、玲人は老女と墓地を目指した。
 手桶に入った花は、霊前に供えるためのものなのだろう。会話の流れで、老女は、ここに息子が眠っているのだと話してくれた。
「親不孝な息子だ、オラよか先に逝ってまって…」
 笑いながらも悲しげにそう呟く老女に、玲人も痛ましい気分になる。
「久しぶりに帰って来たと思ったら、骨になって帰ってくるなんて、ひでぇ話だ…」
「そう、ですね…」
 かろうじて玲人は荼毘に付される前の里村に会うことができた。今思い出してみれば、それはとても穏やかな死に顔だったように思う。不慮の事故で、里村には無念の最期であっただろうに、そんなことを微塵も感じさせない、まるでこんな終わりを予め覚悟していたかのような、そんな表情だった。
 あの時は悪夢の中にいるような心地だったせいで、厳かな気持ちで里村を見送るなどという境地にはとても至らなかったが、最後に一目だけでも里村に会うことができて、今は良かったと思っている。だから、息子の死に目に会えなかった老女が気の毒で、玲人は慰めの言葉さえも口にすることができなかった。
 それでも老女は玲人に気を遣ってくれているのか、カラリとした口調で笑いながら話してくれる。この地方特有の愛嬌のある訛り言葉が、玲人をもの悲しい気分から救ってくれていた。
「車に轢かれて死んでまるなんてぇ、最後まで間抜けなやつだぁ〜」
「…え?」
 独り言のように呟かれたその言葉に、玲人はドキリとする。まさか偶然だろう、と気を取り直す玲人の目の前に灰色の石が立ち並ぶ光景が飛び込んでくる。父親の墓参りにさえ行ったことのない玲人にとって、この一般的な日本の墓地の風景はひどく異様なものに見えた。
 老女はその中に並ぶ似たような墓石の中から一つを指さして、「ここだ、ここだ」と立ち止まった。その墓石を見て、玲人は先ほどから感じていた予感を確信させられることになった。その墓石には「里村家之墓」と彫りこまれていたからだ。
「雅巳さんの…?」
 年代を感じさせる墓石に真新しい卒塔婆が立っている。
「いんやぁ〜、雅巳の知り合いだったがぁ〜」
 玲人のつぶやきを耳にした老女は、そう感嘆した。


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Remain of Love act23

►2009/05/26 20:00 

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 日本に着いた玲人にはまず、行かなければならない場所があった。
 本当ならばすぐにでも職場に復帰しなければならないところであったが、大門に事情を説明すると『すぐにでも行ってこい』と、力強く後押しをしてくれた。
 馬鹿な真似をした自分を救ってくれたにも関わらず、そんな彼らに何も知らせないまま逃げるように出国してしまった。これだけでも十分咎められてもおかしくはなかったのに、アーサーとのバカンスを『この際だからのんびりしてくればいい』とさえ言って許してくれた。その間の一か月余り、大門や美智にはどれだけ迷惑をかけたか、玲人にはそれが痛いほどわかっていた。 
 謝罪し、感謝の言葉を伝えたい。しかしその前に玲人は、自分自身の気持ちに一区切りをつけるためにも、そこへ行かなければならなかった。


 里村の実家は東北地方の小さな港町にある。飛行機と電車を乗り継いで半日ほどもかかるその町に、玲人はたった一人で訪れていた。
 祖父の代までは漁師をしていたと里村から聞いていた通り、そこは昔ながらの漁師町だった。海が近いせいか、何処からともなく潮の香りが漂ってくる。京都の市内で生まれ育ち、大学からは東京で過ごしてきたいわゆる都会育ちの玲人にとっても、ここはどこか懐かしい雰囲気が漂っていた。
 町を歩いていると、朴訥で深い情に満ちていた里村そのものが感じられるような気がして、ここが彼の生まれた町だというのが、なるほど納得がいった。
 玲人は通行人に道を訪ねながら、この町唯一の共同墓地を指していた。吾一から簡単な道のりは教えてもらってはいたものの、方向音痴の玲人にはやはり見ず知らずの場所を歩きまわるのは難しかった。


 ここを訪ねる際に玲人は吾一に連絡を取っていた。吾一は玲人からの電話にひどく驚いた様子で、『心配してたんっすよ!』と、少しきつめの口調でそう言った。くだんの件では、玲人の自殺未遂がマスコミに漏れないように顔見知りの医者のところに搬送し、更には輸血用の血液まで手配してくれるなど、吾一には特に迷惑をかけた。その上、引き留める声を無視してフランスへと渡航してしまったのだから玲人には言い訳の余地もない。彼の怒りは当然のものなので、玲人はただ『ごめんね』と謝るしかなかった。
 一通りの説教の後、吾一は気が済んだのか『ホント、無事でよかったッス』と嘆息した。そして、里村亡き後の周辺の様子を玲人に語ってくれた。
 里村が抜けた事務所には、その穴を埋めるために優秀な新人が二人入り、吾一をリーダーとして順調に運営できているらしかった。そして里村の住んでいたマンションは遺族の意向によって売却することが決まり、遺品のほとんどを整理してほしいと頼まれているという。
 半同棲のような生活をしていたため、里村のマンションには彼の物のみならず玲人の衣類や生活雑貨なども多数ある。それに加えて、処分しづらい想い出深い品も多くあった。それらをどうするか吾一に尋ねられたが、玲人は思い切って、自分の物も含めて処分しても構わないと言った。
 里村とのことが完全に『過去のもの』になってしまったからそう言ったのではない。むしろ逆で、本当は里村の物は何一つ処分などしたくはなかった。
 一つ一つに思い入れがあり、思い出される記憶がある。彼の匂いや気配が残るそれらのものを簡単に捨てることなどできない。きっとそれらのものを譲り受けてしまったら、玲人はそこでまた里村の幻を追っては、彼を失った悲しみに浸ってしまうだろう。一度でもそれらを見てしまえば捨てられなくなるのはわかっていたので、処分は吾一に一任することにした。
 一番大切な思い出は自分の胸の中にある。それは誰よりも里村に愛されていたという記憶だ。それさえあれば、形あるものに頼らなくてもいいと思えた。
 指輪を失くしてしまったことはとてもショックだったが、それを探し出そうとしなかったのは、指輪自体が大切なのではなくて、指輪という永遠の約束の象徴を里村が玲人にプレゼントしようとしてくれていた、その気持ちの方が重要なのだと気付いたからだ。だから、実体はなくとも、里村がくれた指輪はいつも玲人の左手の薬指にある。少なくとも玲人の中ではそれは確かに存在していた。


 心の傷は未だ生々しく、玲人を苦しめ続けている。それは簡単に癒えるものではないし、里村を轢き殺した犯人が法で裁かれたとしても変わらないだろう。もう里村が帰ってくることはない。それはもう変えることのできない事実だった。
 死後の世界がどうなっているかなど玲人にも分からなかったが、後を追えば里村に会えるような気がしていた。それが悪いことだとは少しも思わなかったし、あの時の玲人にはそれしか選択肢がないように思われたのだ。
 今でも本当は怖かった。
 里村の居ない世界は、まるで灯りの点らない静かな部屋みたいだと玲人は思う。
 それでも、自分は孤独ではないと知ったから、玲人は生きることをやめなかった。手を伸ばせば誰かがその手を掴んでくれる。暗くて先の見えない未来でも、その手を頼りに玲人は歩いていこうと思った。
 一人では決して立ち直ることなどできなかった。支えてくれた人がいなければ、玲人は今、存在していなかっただろう。
 彼らに導かれ、玲人は今、暗闇の中、おそるおそる小さな一歩を踏み出そうとしている。
 玲人は、里村が埋葬されている墓地へ向かっていた。


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【追記】

また間が空いてしまったことを深くお詫び申し上げますm(__)m
諸事情により、ネットが不通になっておりました…(´・ω・`)


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HAL様♪

出産直前に体調を崩しまくってしまい、一時はどうなることかと思いましたが、無事に元気な赤ちゃんを産むことができました♪これからもマイペースという名の超スローペースで、頑張って更新していこうと思っておりますm(__)m

おーい様♪

お忙しい時間を割いて読んで下さり、本当にありがとうございます!!育児も更新もマイペースに楽しくやっていけたらと思ってます☆本当は子供ができたらブログは辞めなくちゃいけないと思っていたのですが、小説を書くことは私の息抜きでもあるので、こればっかりはやめられないですね…(^_^;)
そして皆様からのコメントが私の心の栄養ドリンクですっ゚.+:。(≧∇≦)ノ゚.+:。
ママさんブロガーとして、これからも頑張りまーす(´▽`*)

シャンパンG様♪

Myブログの更新でいっぱいいっぱいで、なかなか遊びに行けませんが、あのお話の続きとか、新しいお話とか、すごく気になって仕方ないので必ずお邪魔しに行きます!!お忙しいと思いますが、お身体に気をつけて頑張ってくださいね♪



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